浅村朋伸の「世界一周自転車旅行記」 三井寺ホームへ

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ウェストベンガルを走る VOL.6

カルカッタからダージリンまでの土地は、ウエストベンガル州という行政区分に含まれており、このウエストベンガル州では、インドの共通語であるヒンディー語ではなく、ベンガル語が話されている。この言語はガイドにも、会話の例文がないので「チャーイが飲みたい」だとか、道の訊>ね方が分からず困ったが、英語を話せる村人に出会った時に聞いてメモしておいた。

ウエストベンガル州の田舎町カルカッタを出ると田園風景が続き、所々に現れる農村で見かける男達は、青色の太いチェック柄の腰巻をスカートのように巻いたルンギというものに、ランニングシャツかストライプのシャツを着ていた。
どうやら、それが定着したファッションのようだ。
町に入ると、スラックスにセーターを着て、なぜか襟巻きをしている者が多い。
襟巻きで口を隠している人が多かったので、
ひょっとすれば彼らも空気の悪さが気になっていたのかも知れない。

女性は髪を束ねてカラフルなサリーを身にまとっている。
黄や赤、青などや柄模様のものまで多種多様だった。


インドを走る上で、ある程度、予想はしていたことであったが、水が手に入らない。
村にはペットボトルの 水なんて全く売られておらず、町に入っても置いている店は無かった。
町にあった適当な店で
「水を買いたいが置いているか?」
と聞くと、じいさんは
「ああ、あるさ」
と言って中身が五分の一程蒸発したペットボトルを出した。
おまけに水には怪しい浮遊物が浮いている。こんなもの飲めやしない。僕は、水を買うことを諦め た方がいいことに気付いた。 水を手に入れるのは困難だが、チャーイならどこでも飲める。どんな小さな村にだって絶対にチャーイ屋はある。たいてい、土壁の小屋に、座った男が、鍋を火にかけていて、「チャーイ」と言うとグツグツ煮立ったチャーイを小さなグラスに注いで出してくれる。そばでは、子供が客の飲み終わったグラスを並べて熱湯を注いで洗いたりする。ある程度、大きい町の中では素焼きのカップで出される場合もあり、これは飲み終わった後に地面に叩きつけられて割られ、脇に山積みになった欠片がある。チャーイは一杯、1ルピー。日本円にして約3円程だ。何倍飲んでも知れている。チャーイ屋に腰掛けるたびに、村の人達が仕事の手を休めて群がってくる。チャーイ屋のベンチを中心に、あっという間に20人程が集まってしまう。

騒々しい町並み 「どこの国から来たんだ?」
「名前は何ていうんだ?」
「仕事は何をやっているんだ?」
「どこへ行くんだ?」
「自転車のギヤは何枚付いているんだ?」

彼らは、いつも決まった質問を浴びせかけてくる、勝手に自転車を、いじくりまわす者など、どこの村に止まっても必ずやってくる。こんなことはマレーシアやタイではありえなかった。こういう地元との交流こそが海外旅行というものだという気がして、そういうものに憧れていた部分がなかったわけではないが、3日目ぐらいになると、同じ質問ばかり浴びせる彼らに、うんざりしだした。何故、だれもかれもが同じ質問なんだろう?日本でも有名人から見た一般人はこんなふうなの かもしれないなと思った。有名人を見かけると、すぐに人だかりをつくって、サインをくれだとか、握手してくれだとか、頑張ってくださいと、誰もが同じことを言う。別に、インド人が変わっているわけでもないのだろう。一緒だ。インド人に、うんざりしたところで、自分だって、彼らとなんら変わりはない。

地図によれば、カルカッタから目的地ダージリンまでの間にある町で、一番大きい町が、バハランプールとシリグリという町だった。バハランプールは、丁度、カルカッタからダージリンまでの中間に位置していた。もう一つの大きな都市、シリグリは、ダージリンのすぐ手前にあり、ネパールとの国境にも近く、まだまだ距離が離れている。地図で大きな町を確認したのには訳があった。
意気込んでダージリンへ向けて走り出したのはいいが、僕は再びミスを犯していた。キチンと現金を確保せず、カルカッタを後にしたのだ。カルカッタで結局、ATMが見つかったので油断してしまったのだ。カルカッタからダージリンまでは約500km。大阪から九州までぐらいの距離がある。その間に、ある程度の大きさの町ならATMは探せば見つかるに違いない、移動中は多額の現金を持たないほうがいい、と判断したのである。
しかし、インドにはATMが見当たらなかった。そこそこ大きな町へ行ってもATMがない。マレーシアやタイの銀行では殆んどといっていいぐらい設置されていたのにインドには全くATMが見つからないのである。自分がいるのは日本ではない、ということがわかっていながらも日本の常識を引きずっていたのだろう。銀行にはATMがあるものとして決めつけていたのだ。これでは手持ちの現金が無くなれば終わりだ。カードなんてATMがなければタダのプラスチックのカードにすぎない。
果たして、バハランプールという町にはATMがあるのだろうか?そればかりが気になった。もし、バハランプールになければ、他の小さな町に、ATMがあるわけがないので、必ずあって欲しいという願うしかなかった。

到着したバハランプールは想像以上に大きな町だったが、どれだけあちこちの銀行を探してもATMは見当たらなかった。
もし、これでシリグリにもなければどうなるのだろうか。さすがに焦りを感じた。国際的な観光地であるダージリンには、ATMがありそうだが、絶対にある、というわけではない。万が一の場合、見つからないという可能性がある。
僕は、シリグリでも現金を補充できなかった場合に備えて、ATMのあるカルカッタまで引き返すための500ルピーを、列車代として予備に取っていた。 しかし、シリグリで引き返さずに、ダージリンまで行こうとすれば、どうしても、この予備金に手をつけなければならないのである。もし、ダージリンにまで行ってしまった後で、ATMを発見できなければ予備金で列車に乗ってカルカッタに引き返すこともできなくなる。ダージリンに行くのは、リスクが大きい。シリグリの町でATMがなければ、嫌でも、列車に乗ってカルカッタに引き返した方がいい、と考えた。

僕は、金を節約するために、食事は常にチャパティーという小麦粉を、水でといて薄く延ばして 焼いたものばかりを食べた。一枚1ルピー。約3円。10枚で約30円。チャパティーを注文すると、「ベジタブル」といって小皿に野菜のカレーのようなものがついてくる。それをチャパティーに付けて食べる。朝、昼、晩の三食をチャパティーで済ます。一日の食費は約100円。そして、ホテル代は100〜150ルピーだから日本円で約300円〜450円。一日の予算は200ルピー以内に押さえていた。
日本円で一日につき約600円。何しろ、1500ルピーしか現金がなかったので一日200ルピーで保たさなければ、五日後にシリグリに到着してATMを発見できなかった場合に電車で、カルカッタへ現金を調達するために引き返すことができなくなってしまうのだ。そのような計算をして、僕は旅を続けた。

途中で寄った村では、どうやらヒンズー教の祭の最中らしく、どこもかしこも電飾を村中に飾り付けていた。道を走っていると、赤ん坊程の大きさの女神の像を満載した荷車が走っている。おそら く、あちこちで買い手があるのだろう。
チェックインしたホテルの従業員の若者が村を案内してやるというので、彼の自転車の後ろに付いて行った。
村中の電飾が光り輝いていて、まるで、日本のクリスマスシーズンのようだった。あちこちにスピーカーが設置されており、ヒビ割れた大音量の音楽がガンガン鳴り響いていた。村の中央にはひときわ大きな女神の像があった。
「あれは、何という名前の女神だい?」と聞くと
「サラスバティさ」と彼は答えた。
なるほど、サラスバティだったのか、と僕は納得した。サラスバティとは、日本では弁財天と呼ばれているヒンズー教の神様だ。日本でも人気のある神様だが、地元では流石に大人気なんだな、と感心した。
往来は人で溢れ、大勢の子供たちが走ったり、夜店に群れをなしている。
スピーカーから流れる音楽は止まる気配がない。インド人というのは、なんて祭りが好きなんだろう、と思った。

自転車で千草を運ぶインド人インドの田舎道を走っていると、自転車に乗ったインド人に、出会うことが多かった。しばらく走っていると、必ず自転車に乗ったインド人が、ピタリと付いてくる。気にしなければいいだけの話なのだが、振り切ろうとしてスピードをあげると、インド人も必死で追いかけてくる。サイクルメーターで時速30kmぐらいまでは食らいついてくるので、こっちも真剣になってしまう。インドでは「ヒーロー」と「アトラス」という実用自転車が主流で、誰も彼もが、この自転車で、村と村との間を行き来している。なかには自転車の両側に、大きな壷をぶら下げているものや、大量の干草を積んだリヤカーを牽いている者も多い。とにかく、インド人が怠け者というイメージは、大きな誤りであった気がした。農村のインド人は働き者という印象しか受けなかった。

馬車で移動する人たちカルカッタを出発してから5日後、ようやくシリグリに差しかかった。危うく見過ごす所であったが、町の入り口にあった、
小さな銀行でATMを発見した。恐々と、カードを差し込みボタンを押してみると、めでたく使用することができて、現金を補充することができた。
町の中心で、適当なホテルを見つけ、チェックインして町をぶらついた。町は意外に大きくて、服屋とか自転車屋といった店を見て歩くのが楽しく、退屈しなかった。金を下ろすことができたので、贅沢にチョコレートを買ったり、コーラを飲んだ。コーラは10ルピー程するので、一食と同額である。今まではそんな贅沢はできなかったが、金さえ下ろすことができれば、何もワザとひもじい思いをすることはない。

「明日は、いよいよ、ダージリンだ」
ネパールへの国境は、シリグリから、西の方角だったが、ネパールに入る前に少し寄り道をして、シリグリの北に位置するダージリンで、有名なダージリンティーを飲もうと考えていた。さっと行って、さっと帰ってこればいい。地図をみれば60km程のようだから、時間 にすれば片道4時間の距離だろう、と思った。

しかし、翌日、ダージリンに向けて出発した僕は、大きな間違いを犯していることに、気づかされることになった。