浅村朋伸の「世界一周自転車旅行記」 三井寺ホームへ

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ニューヨーク VOL.34

ニューヨークに着いて、スゲの住所を探してみたが、だいたいのところまでしかわからなかったので、犬を散歩させている女性にスゲの住所を見せて聞いてみると、その住所まで案内してくれた。教えてもらったマンションの入り口で、インターホンを鳴らすとスゲが出て来た。

「久しぶり、元気だった?」と僕は彼女に言った。
「連絡がないから心配してたのよ」
「今日、ニューヨークに到着する予定だって、前に連絡してただろ?」
「今日、連絡があると思って、ずっと待ってたのよ」
「今、さっきニューヨークに着いたばかりだもの」
「よくここがわかったわね」
「犬を散歩させている女性に案内してもらったんだよ」

着いたばかりだったが、荷物を運び込むとスゲはニューヨークの繁華街を案内してくれた。彼女は、新聞社のニューヨークタイムスで編集の仕事をしているアメリカ人のジェイクという男性と結婚を済ませ、セントラルパークに面した新居での生活を始めたばかりだった。

我々が部屋に戻ってしばらくするとジェイクが帰ってきた。ジェイクは、イランでスゲ達が痴漢に遭った時に、僕が痴漢を捕まえて警察に連れて行ったことを、すごく感謝していると言った。僕としては、痴漢に遭ったのは、夜遅くまで宿に帰ろうとしなかった彼女達の自業自得で、僕は自分の貴重品入れを盗まれそうになったから、警察に突き出しただけのことなのだが、そのことは黙っておいた。

彼は紳士的な男で、スゲの家族も当初は国際結婚に反対していたもののジェイクに会ってみると、すっかり彼を気に入り結婚に賛成したのだという。彼は仕事で韓国に滞在していたことがあり、韓国語はペラペラだった。アジアのことに興味があるらしく日本を始め、アジア各国に関する本が本棚に並んでいた。

翌日の晩、ジェイクの提案で映画を見に行こうということになった。バスで映画館に向かい、館内に入ってみると満員である。内容はイランの映画で、同時多発テロ以降、アメリカ人のイスラム教徒に対する興味が高くなっているように思われた。

映画が終わり、外に出ると激しく雨が降っていた。スターバックスでコーヒーを飲んで雨宿りしながら映画の感想を述べあうと、三人ともあまり意味が理解できていなかった。しばらく待っても雨は止む気配がなかったので、僕らは、タクシーに乗って帰った。

スゲは、僕がホームステイしている間、チゲを作ってくれたり、あちこちとニューヨークを案内してくれた。彼女は町を歩きながら「ニューヨークを歩いてる女性のファッションがオシャレだとは思わないわ。日本に行った時のほうがよっぽどオシャレな女の子を見たわ」と言って、日本のファッションについて、随分熱心に語った。

ジェイクは、自然史博物館や、メトロポリタン美術館のフリーパスをくれたので、僕は一人で見学に行った。博物館や、美術館の規模に圧倒されたが、ニューヨークで何よりも、僕が圧倒されたのはタイムススクウェアだった。いくつものスクリーンに映像が流れ、この一角の空間自体が生き物のように思えた。黒人も黄色人も白人も町に入り乱れている。すれ違うだけなら、みんな当たり前である。

アメリカの首都はワシントンDCだが、この時代の世界の首都は、ニューヨークなのだと実感した。今までペルセポリス、イスタンブール、イスファハン、パリなど、いろんな時代の首都を見てきたが、どの時代の首都にも共通していることは、インターナショナルであったということである。世界中の人々が、その時代の首都に集まっていた。

ここニューヨークは、この時代で最もインターナショナルであり、あらゆる人間がここを目指してやってくる。紛れもなくこの時代の首都だ。リアルタイムに栄えているペルセポリスを見ることはできなかったけれど、僕は現実に栄えているニューヨークにいる。イスファハンは世界の半分という言葉があったが、ニューヨークは世界の半分では済まないだろう。ニューヨークに着いて、6日目、ロブの友人ブレイデン=キングに電話をかけて会いに行った。彼は驚くほど男前で背が高く、髭を蓄えていた。映画俳優にでもなれそうな男である。喫茶店で、彼とコーヒーを飲んだ後、彼のオフィスを案内してもらった。彼は「トラックストップメディア」という会社を経営していて、映画を製作したり、ミュージシャンのプロモーションビデオを編集したりする仕事をしていた。

翌日、ブレイデンはオフィスのキーを貸してくれた。一週間、スゲの家にホームステイさせてもらったが、これからはブレイデンのオフィスに滞在させてもらうことになった。

僕はスゲに礼を言って、ブレイデンのオフィスへ向かった。彼のオフィスには数人のスタッフが出入りしていた。そのうちの一人、イアン・ウィリアムスは「ストームアンドストレス」というバンドを結成しているミュージシャンで、自転車が好きらしく、自転車旅行をしている僕に、興味を持ったようだった。

彼とブレイデンはアメリカを横断するなら、今は寒いから、中央ルートではなく、南のルートを走れ、と勧めてくれたが、随分遠回りになるので、僕は、どうしようか迷っていた。どちらのルートを選ぶかによって、一日の予算は変わるので、そういったことを計算するのも面倒だった。正直なところ、アメリカ横断に対する意欲は低下していた。ニューヨークを出ると、もうこの国に、刺激はなさそうだからだ。彼は仕事が終わると、飲みに行かないか、と誘ってきた。

僕は自転車を盗まれるといけなから歩いて行こうと言ったが、彼は太い鎖のロックを見せて「こいつがあれば大丈夫だ」と笑った。
「そいつがニューヨークスタイルか」と僕が言うと、彼は得意げに頷いた。
バーに入り、二人で酒を飲んで騒いだ後、店の外へ出ると、イアンと僕の自転車はなかった。どこをどう探しても僕たちの自転車は見当たらない。
「俺達は確か、この辺りに自転車を置いた気がするんだが」
イアンは首をかしげてそう言った。
「ああ、確かに、ここだったと思う」
酔ったとはいえ、店のそばに見当たらないのは、どう考えてもおかしい。散々探し回って自転車をくくりつけた電柱に再び戻って来ると電柱の下に壊された鍵の一部分が落ちているのが見つかった。

「畜生!」
電柱を殴りながらイアンは悔しそうに唸った。どうやら僕達のバイクは盗まれたのだ。あんなに太い鎖で繋いでいたのに二台ともあっけなく持っていかれたのである。
「あんな太い鎖でも役に立たないなんて、やっぱりここはニューヨークだな」
僕はイアンにそう呟いた。
「お前の言う通りだよ」

イアンは頷いた。彼の自転車が高かったのは知っていたし、僕の自転車だって安かったわけではない。何より、共に一緒に砂漠を越えた相棒だ。僕にユーラシア大陸横断という目標を達成させてくれた相棒だ。これからアメリカ横断を共に挑むはずだった相棒だ。しかしその相棒が僕のミスで誰かにさらわれたのだ。申し訳ないという気持ちと、これで自転車を買いなおした場合に、より一層アメリカ横断が予算的に厳しくなるという予測が頭を過ぎった。しかし、状況が厳しくなったことに対して僕は喜びを感じていた。
(これでやっと具体的な予算が組める)
そう確信した。実際に自転車
を買いなおした後にどれだけの金額が手元に残るのかはわからなかったが、こうなった以上、ギリギリのラインで旅を続けなければいけない。それが意味することは、予算はおろか、中央ルートか、南ルートのどちらを選ぶか、選択権を失ったということだ。厳冬の北米大陸を最低予算、中央ルートで強行突破するしかない。僕は予算の決定を下してなかったが、もうその必要はなくなったのだ。強制的に予算とルートが決まった以上、あとは走るだけだ。僕はやっとアメリカ横断に現実感が湧いてきた。

(あとはやるだけだ) 僕は、急に現実味を増したアメリカ横断に意欲を感じた。たった今、自転車を盗まれたのに不幸そうに見えない僕に疑問を持ったのか、イアンが「お前は自分の自転車を愛してなかったのか?」と、不思議そうに言った。
「もちろん僕にとって特別な自転車だったよ」と僕は答えた。
こうして僕とビアンキとの旅は終わった。

僕はニューヨークで自転車屋巡りを始めた。なるべく性能が良くて安い自転車を手に入れるためである。電話帳で住所を調べ、あちこちの自転車屋を見て回った。そして、スーパーで、パンや、飲料の物価を調べた結果、安売りしている店なら、一日5ドルで過ごすことができそうなことが分かった。アメリカ横断は5500kmなので一日に100km進めば55日間の計算である。余裕をみて60日間で計算しても、300ドルでロスまで走れることになる。同時にアメリカの中央をどの道路で走るのか、決定しなければならなかった。アメリカにはハイウェイが張り巡らされているので、中央ルートには幾つかの候補があったが、途中で道路を乗り換えながら走るには時間がかかりそうに思われた。なるべく迷子にならないように一本道のルートを選びたい。

いつものように通りを歩いていると僕の目に、ある喫茶店の看板が目に飛び込んできた。
「これだ。なぜ今まで気付かなかったんだ」
その店の看板には「ルート66」と記されていた。ルート66とはアメリカで最も有名な道路である。ルート66はシカゴからロスまで続いているのだ。シカゴの辺りまで行って、ルート66を走っていけば、ロスまで迷子にならなくてすむ。あとは自転車さえ手に入れば、アメリカ横断は実行可能だ。

自転車屋を回り始めて数軒目に入った店で、ジャイアントというメーカーの自転車が目に付いた。コンポーネントは低グレードながらもシマノ製だ。値段は200$。理想的だ。この自転車の前後にブラックバーン社製のキャリアを装備すればいい。「これしかない」僕は即決してその自転車を購入した。久しぶりに自転車に乗った気がした。速い。町を移動するのが信じられないぐらい速い。トラックストップメディアに着くとブレイデンとイアンが驚いた。

「お前は200$の自転車でアメリカを横断する気か?」
「何も5年、10年も乗ろうって話じゃない。僕の計算ではロスまで2ヶ月の計算だ。たった2ヶ月だ。2ヶ月ぐらいなら、この安い自転車でも走ることができると思うんだ。ただ、毎日乗るから消耗は激しいだろうけどね」

フレームが2ヶ月でダメになるとは思わないし、他のパーツなら交換ができる。ワイヤー、ブレーキシュー、スポーク、は交換の値段もあまり気にならないし、タイヤ、ベアリング、チェーン、ギヤ、これらは少し出費するが横断中に交換の必要に迫られても一度の交換で済むだろう。そう考えると、この200$の自転車で十分、アメリカ横断は可能だ、と説明すると「確かにそうだな」とブレイデンとイアンは納得した。

ブレイデンが仕事を早く片付けた日、一緒に夕食を食べに行くことになった。町の中には大勢の行方不明者のビラが張られていた。ブレイデンはテロによる被害者なのだと説明してくれた。中華料理を食べたあと、ブレイデンに家に来ないかと誘われたので、電車に乗ってブルックリンにある彼の家に向かった。「ビールを飲むか?」と言って彼は「ブルックリンラガー」というビールを差し出した。ブレイデンはアメリカのビールの中では、これが一番気に入っているのだと言った。
「テロがあった時、ブレイデンはニューヨークにいたのかい?」
僕はビールを飲みながら彼に訊ねた。

「テロがあった時か?このマンションの屋上から見てたんだ。一機目が突っ込んだ時、皆が屋上に上がって騒いでいたから俺も屋上に上がって見てたんだ。そしたら、二機目が突っ込んできたんだ」
「へえ」
僕がイスタンブールにいた時、ニュースで見たテロの瞬間を、彼はリアルタイムに現場で目撃したのだ。いろんな国を自転車で旅してきたせいか、テレビに映っていた外国で友人から話を聞いたせいか、世界が随分、狭く感じた。

夜になると、僕らはイアンを誘って、三人でバーへ飲みに行った。コーヒーの話題になると、イアンはニューヨークは町を歩きながらコーヒーを飲むことができるから好きなんだと言った。
「日本では歩きながらコーヒーを飲んだりできるのかい?」
彼は僕に訊ねた。
「日本で?歩きながらコーヒーを飲むということにかけては日本が世界一だと思うよ」 「世界一?本当に?」
「ああ、日本の都市では百メートルごとにコーヒーの自動販売機がある。海辺にも山の上にもある」
「そうだ、イアン。俺も知ってるぞ!」
ブレイデンは日本の自動販売機の多さを知っているようだった。
「信じられないな」
「僕は日本人だからコーヒーはどこでも飲めると思っていたからヨーロッパでは困ったんだ」
「確かに、ヨーロッパではコーヒーを歩きながら飲むことは難しいな。だからヨーロッパは嫌なんだ」

イアンは日本には負けてもヨーロッパには負けないとでも言いたげだった。僕はニューヨークも大して変わらないと思ったが、彼のプライドを傷つけないように黙っておいた。

ブレイデンは、また家に招待してくれたので、自転車で彼の家に行くことになった。ブルックリン大橋を渡ると「マンハッタンの夜景を見に行くか?」とブレイデンは訊ねた。僕が「ああ」と答えるとブレイデンはマンハッタンの摩天楼が一望できるスポットに連れて行ってくれた。川の向こうに並んだマンハッタンのビル群は、カレンダーの写真のようだった。

「やっぱりマンハッタンのビルは高いな」 「WTCはあんなビルよりもっと高かったんだ。二倍あったんだ」
「そんなに高かったのかい?」
「ああ、高かった。あそこにWTCがあったんだ」と彼は指差して、悲しそうな顔をした。
ブレイデンにホームステイさせてもらって一週間ほどが過ぎ、僕はニューヨークを出発することに決めた。

一番の問題は、金銭だった。自転車の前後にキャリアを装着し、ロックを買うと残金は840$だった。そのうち500$はロスから日本へのフライトチケット代に必要なので、実際の旅費は340$。僕は40$をブレイデンに渡して「ロスに到着したらメールで連絡するから、イアンとビールで乾杯してくれ」と告げた。ぐずぐずしてられなかった。ニューヨークに来てから2週間が経っている。アメリカにビザなし滞在できるのは90日。残り70日余りである。僕はブレイデンとイアンに別れを告げて、ニューヨークを出発した。

こうして、300ドルの冬期北米大陸横断は始まった。