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インド・カルカッタ |
VOL.5 |
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飛行機に持ち込める手荷物は、一人一個と決まっていたので、僕は自分の前に並んでいた手ぶらの白人に「荷物を一つ持ってくれないか?」と頼んだ。手荷物に重たいものを入れて機内に持ち込み、預け荷物を軽くして超過料金を払わずに済ましたかったのだが、どうしても手荷物が二つ出来上がってしまうので困っていたのだ。嫌そうなそぶりも見せず、気安く引き受けてくれた彼は、アルという名前のカナダ出身のバックパッカーだった。僕らは、飛行機の中で、自分の国のことについて話をしたり、これからインドで、どんなところを訪れたいかといった話で盛り上がった。いろいろ話しているうちに、二人ともカルカッタで、サダルストリートという安宿街に行こうとしていることも判明した。飛行機は、無事にカルカッタに到着して、アルにサダルストリートでの宿泊先を聞いて別れを告げ、分解して積んでいた自転車を空港内で組み立て、サダルストリートを目指した。
空港を出て街を走り出すと、どこもかしこも黄色い車がやたらと目に付いた。TATAというインド国産の自動車メーカーで、乗用車だけでなくバスまでもが、このメーカーである。今まで見たことも聞いたこともない会社の自動車を見て、ここはインドなのだと実感した。冬のカルカッタは、暑くもなく寒くもなく非常に快適で、インドといってもあまり苦労するような気はしない、というのが第一印象だった。
空港から大した距離を走ったわけではないが、空港で自転車を組み立てた時にネジの締め付けが甘かったせいで、サダルストリートに到着する目前で、自転車の前に付けている荷台のネジが緩んで外れてしまった。荷台が固定されなくなったので、バッグを吊るすことができなくなった。修理をしようと、立ち止まったが、ネジがなくなってしまっていたので、前のバッグを後ろの荷台に載せ、手で押さえながら自転車を押して歩くことにした。地図を確認しようと立ち止まると、近くにいるインド人が一斉に立ち止まる。じっとこちらを見て、僕が動き出すと彼らも元のように歩き始める。やはり、この国は東南アジアの国とは違うな、と感じた。
サダルストリートには、それからまもなく到着したが、問題はホテル探しだった。 薄暗くなった通りには、バックパッカーよりも、インド人の方が目立つ。てっきり、バンコックのカオサンストリートのように、入ったとたんに右も左もバックパッカーだらけで、他の通りとは別世界のような、ネオンだらけの通りを想像していたのだが、意外にカルカッタのどこにでもある普通の通りのように見える。とはいえ、ホテルの看板は、所々で目に付いた。早速、チェックインを済ませたいところだったが、うっかり、その辺の道端に自転車を停めて、ホテルのフロントと交渉していると荷物がなくなってしまうのではないか、という心配がする。
しかし、ホテル探しよりも何よりも、もっと重大な現実問題に気が付いた。僕はインドの通貨をもっていなかったのである。これではホテルに泊まることすらできない。とりあえず、何をさておいても、銀行で金を引き下ろさなくては何もできない。サダルストリートの近辺は開発が進んでいて、ビルの立ち並ぶ地区だったので銀行を探すのは簡単に思われたが、肝心のATMは、中々見当たらない。自転車を押しながら町をうろうろしてみたが、ATMは見つからず、疲れが溜まる一方だった。ひょっとして、インドにATMというモノは存在しないのであろうか?、とすれば、現金を持たない僕は、ここで旅を終えなければいけないのだろうか?
、と考えていると、ボロキレをまとって、赤ん坊を抱いた3人の物乞いの女が話し掛けてきた。
「何か問題でもあるのかい?」
リーダー格らしき魔女のような女が英語で話し掛けてきた。
「銀行を探しているんだ。カードを使える銀行がどこにあるか知らないか?」
僕は、ワラにもすがる気持ちで彼女達に聞いてみた。物乞いの女がカードの使える銀行など知ってるわけはないさ、と思いながらも、彼女達なら、この町の隅々まで知り尽くしているに違いない、という期待があった。
「それぐらい知ってるとも」
「本当かい?銀行と言ってもカードを使える銀行だよ」
僕は念を押してみた。
「案内してあげてもいいけど、あたしたちがあなたを助ける代わりにあなたも、あたしたちを助けておくれよ、銀行でお金が下ろせたら何か、あたしたちに食べさせておくれ」
「カードを使える銀行が見つかったらそれぐらい構わないさ」
とにかく、現金を手に入れることが先決だ。ここで条件を渋って、彼女達の申し出を断ると、自力で銀行を見つけることはできないかも知れない。そうなると、真っ暗な町の中を金も持たずに彷徨うことになる。そんなことだけは絶対に避けなければならない。ここはギブアンドテイクだ。今、僕に一番必要なのは現金と寝床の確保だ。つまらぬことでケチっている場合ではない。3人だろうが4人だろうが飯代ぐらい知れている。
「この女が、あなたを銀行に連れて行くから、ここであたしたちは、あなたの自転車を見ておいてあげるわ」
リーダー格の女がそう言った。自転車を彼女達に任せるのは危険ではないか、と思ったが、もし自転車に何かあれば、彼女達とて何も得られないのは承知のはずだし、自転車のバッグの中に盗まれて困るようなものは一つも入っていない。他人には鍵で開けれないようにしているし、自転車にも鍵で固定している。自転車自体はロックすれば持ち去られない。ナイフか何かでカバンを切られれば中身を盗まれるだろうが、その時は、その時だ。僕は自転車を鉄柵にロックで固定すると物乞いの女の一人に従って銀行に向かった。女が、本当にATMを設置している銀行を知っているのかどうか不安だったし、そもそもATM自体がこの町にあるのかどうかもわからなかったが、女は迷わずに町の中を進んで行き、僕はその後を追った。女は、五分も歩かずに、僕をATMの前に導いた。
「こんな所にあったのか」
、意外にサダルストリートからは近く、なぜ見つけられなかったのだろう、と不思議に思ったが、慣れない町では、そんなものかもしれない。ATMは無事にカードを使用することができ、インド独立運動の父ガンジーの肖像が描かれた札が、希望額通りに出てきた。カードで金を下ろすと、これで何も怖くないという気になった。僕は、自分自身を現金な奴だな、と思った。自転車を見ていてくれた女たちは、動かずにしゃがみ込んで待っていた。
次は、とりあえず、今夜の寝床の確保をしなければいけない、と彼女達に言って、近くのホテルでチェックインを済ませた。宿代は100ルピーで日本円にして300円程度だったが、部屋が五階にあり、自転車を持って上がるのは大変だった。自転車を抱えて階段を上がっていると、ドイツから旅行に来ているという女の子が、驚いて声をかけてきた。
「自転車でどこへ行くの」
とか
「日本へ行ってみたいけど物価が高くて行けないわ」
、だとか言いながら荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
荷物を運び込み終わってホテルの外へ出ると、物乞いの女達はレストランへ行こうと誘ってきた。丁度、お腹がすいていたし、今までの不安が全部解消したこともあって飯ぐらいはおごってやるのが当然のお礼だと思い、彼女達が何を食べるのかというのも気になったので、彼女達にレストランを案内するように言った。彼女達が入ったレストランは、インドの大衆食堂のようだった。テーブルについては、みたものの何を注文したらいいのかわからない。
「何を注文したらいいのかわからないんだ」
と僕は言った。
「どんなものが食べたいんだい?」
「ライスを使ったものが食べたいんだ」
「じゃあ、ビリヤーニにしたらどうだい」
ビリヤーニというものがどんなものかは知らなかったが、彼女達はチキンビリヤーニとコーラを注文したので、同じものを注文した。出てきたのは、トリ肉入りのピラフのようなもので、米はパサパサとしていた。彼女達は、ガツガツとすごい勢いで食べ終わると、さらに二皿目を注文し、僕にも二皿目を勧めてきた。皿に盛られた量は、決して少なくなかったし、腹は満たされていたので断った。本当に二皿も食べられるのか、と訝っていたが、彼女達は簡単に平らげてしまった。まだ、何か注文しようとしていたので、さすがに慌てて、強引に勘定を済ませた。食事が終わると、彼女達の内の一人が、子供が病気だから薬が欲しいと言いだした。そら、始まった。これからが彼女達の仕事だ。
「今、皆で飯を食べたから下ろした金に余裕がなくなってしまった。薬が必要なら、何故レストランに入る前に言ってくれなかったんだ。君達が、あんなに食べなかったら薬だって買えていたよ」
と言って僕は席を立った。
銀行を案内してもらった礼はした。これ以上、彼女達に付き合う義務はない僕は、暗い路地を歩いて、一人でホテルへ戻り、ベッドに寝転んで、ステファンやアルも無事にサダルストリートへ到着したのだろうか、と考えた。 今日は、カルカッタに到着したばかりで疲れているので、明日になったら、彼らの宿を探してみようと決めた。僕は、しばらくベッドに寝転んだまま、それ以外にしなければならないことを考えていた。とにかく、ここからは、アジア横断の本番が始まるのだ。日本で何の予習もしてこなかったので、これからの旅の大まかなアウトラインを描く必要がある。ここカルカッタを出発する前にやっておきたいことは、情報収集と、コースの決定だ。カルカッタを出発すれば、当分、旅行者に出会うことはなくなるだろう。そうすれば情報を仕入れることはできない。なんとしても、カルカッタで仕入れるべき情報は仕入れておきたい。最も欲しい情報はパキスタン、イランの二国に関する情報だ。パキスタンといえば物騒なイメージがあったし、イランにしたって終わったとはいえ戦争のイメージが強い。そんなところをこれから自分が自転車で走るのだと思うと、どうしても情報不足は否めない。何しろ、全く情報がない。どの道を走るのか、そもそも、このカルカッタからヨーロッパまで本当に自転車で走れる道が続いているのかどうかもわからないし、根本的な問題として、情報、情報と言いながら、どうすれば情報を集めることができるのかもわかっていない、ということに自分が気付いていなかった。
翌朝、目を覚まして、ステファンが泊まるといっていた 「サルベーションアーミー」 へ行ってみることにした。 「サルベーションアーミー」とは、日本語で救世軍、そのゲストハウスがサダルストリートにあり、バックパッカーの間では安宿として有名だった。フロントで訊ねては見たものの、ステファンの名は宿泊者名簿にはなかった。ひょっとすれば、満室で他のホテルに泊まったのかも知れない。
僕は、ステファンに会うのを諦めて、アルのホテルを探すことにした。道端では、ポンプで体をゴシゴシ洗っているインド人や、チャーイを飲んでいるバックパッカーがいて、いかにもインドに来たんだという雰囲気があった。インドとは非常に汚らしい場所というイメージがあったが、このカルカッタはそういう風には見えなかった。確かにそこら中にゴミが捨てられ、建物や塀の壁は崩れていたが、それらは、よくできた映画のセットのようだった。本物のインドにいるというのに、インドの風景を再現したセットのように見える。インドに到着したばかりで、何にも触れず、ブラウン管を通して見ているような感覚だった。アルが宿泊すると言っていたホテルに行って、宿泊者名簿を確認してみると、彼が宿泊していることは、わかったが、外出中で会うことはできなかった。
ホテルの中庭では、自転車を整備しているヨーロッパ人がいた。旅に出て自転車旅行者に会ったのは、初めてのことだった。 これからどこへ行くんだい?と聞いてみると、彼は、デリーを出発してカルカッタまで自転車で走り終え、これから出身のイギリスへ帰国するところだ、と言った。今からカルカッタをスタートする自分と、デリーからカルカッタまでを走り終えて、ゴールした彼を比べてみると、彼が、すごいことをやり遂げたように思えた。自分だってシンガポールからバンコックまでを走っているので、距離にすれば、同じような距離を走ってるはずなのだが、やはりインドを走ったと聞くと、自分よりも、もっと困難なことをやり遂げたように聞こえた。実際にインドを走るというのは、どれぐらい困難なことなのだろうか?シンガポールからマレーシアまでの間は、困難であったとは言い難い。マレーシアにおいては、むしろ快適だったではないか。
自分のホテルに戻ろうと思い、路地を歩いていると絵葉書を売るインド人に出会った。サトシと名乗るそのインド人は驚いたことに関西弁がペラペラだった。
「兄ちゃん、絵葉書買ってえな」
「お金がないから無理だよ」
「頼むわ。こっちかて火の車やねん」
驚いたのは、彼が関西弁を喋るということに対してではない。彼の感覚が関西人に近かったことである。わざわざ「火の車」などという日本語を使って返す外国人がいるとは思いもしなかった。明らかに、ウケを狙っている。外国人が「火の車」といえばウケることを知っていて使っている。客が、絵葉書を買う金がないと言うことを予想しておいて、「火の車」という言葉を用意しているのだ。このやり取りの意外性とスピード感は見事だと思った。関西弁を喋るくらいなら練習すれば大抵の日本人にはできるだろう。だが、感覚まではコピーできない。それは関西の土壌で育っていないからである。育った土壌が違うので、頭の中身が違うのだ。しかし、このサトシの話す内容は完全に関西人のそれに近かった。他の都道府県の日本人と話すより、ピタリと感覚が一致した。なぜ、大阪で育って身についたこの感覚は、他の日本人と感覚が一致しないのに、インド人の彼と感覚が一致するのだろう、と思うと不思議でならなかった。
ホテルの部屋に戻って、しばらくベッドで横になった後、タオルやシャンプーを持って、共同シャワーに向かうと、昨日のドイツ人の女の子と出会った。
「あなたは、昨日ここに来た自転車で旅してる日本人ね」
「ああ、昨日はありがとう」
「今からシャワーを使うの?あなたは、ここのシャワーの使い方を知ってる?」
「何か、変ったことでも?」
「ここのホテルはホットシャワーというけど、シャワーからお湯が出るわけではないの。フロントに頼めばバケツにお湯を汲んできてくれるから、それを使えばいいわ。インドでは、時々、それをホットシャワーというのよ」
「そんなこと知らなかった、ありがとう」
「どういたしまして」
と言って彼女は階段を降りていった。わざわざ、お湯をバケツに汲んでもらうのを待つのは邪魔臭かったし、バケツの水で頭を洗うのも億劫だ、と思うとシャワーを浴びるのが嫌になった。
シャワーを浴びるのは諦めて、その辺をウロウロすることにした。サダルストリート近辺にはテープを売っている店が沢山あったので、ビートルズを2本買った。テープ屋に並んでいるのは、洋楽やインド映画の挿入歌が多かった。
翌日、通りを歩いてると、アルと偶然に出会った。お互いに再会を喜んだ後、自分の泊まっているホテルの位置をアルに教えた。
「そういえば、俺の泊まっているホテルには自転車旅行中のイギリス人がいたよ」
とアルが言った。
「ああ、知ってるよ。アルのホテルに行った時に会ったよ」
我々は売店でジュースを買ってアルの部屋に行き、インドの感想や、これからの予定などについて話をした。
翌日、アルとサダルストリートを歩いているとステファンに再会した。 ステファンは、やはりサルベーションアーミーに泊まっていた。3人でサルベーションアーミーに行ってみると、中では数人のヨーロッパ人の若者がソファで寝転んでいた。ステファンとアルは、フランス語でペチャクチャと話し出した。カナダ人のアルは、フランス語と英語ができるのでフランス人のステファンと話が弾みだした。聞いていても、サッパリ分らないし、英語と違って覚えようという気にもならない。アフリカ大陸を旅行中ならともかく、ユーラシア大陸を旅行するのにフランス語など、フランスに入国するまで、あまり役に立たなさそうに思われた。
夕方になってサルベーションアーミーに宿泊している者達と、映画を見に行こうということになった。インド映画は日本でも有名であることは聞いていたが実際に、この目で見たことはなかった。我々は連れ立ってニューマーケットの近くで映画館に入った。内容は歌や踊りがあって、いかにもインドらしく思えた。映画そのものより、映画の様々なシーンで騒ぐインド人達の反応の方が面白かった。
映画が終わってサルベーションアーミーに戻ると
「ビールを買いに行かないか?」
とステファンが提案した。適当に町をぶらつき、ようやく見つけた場所は薄暗い小さな店だった。インドでは大多数が信仰しているヒンズー教や、イスラム教の宗教上の理由で、ビールを堂々と飲むことができないため、ビールは紙に包まれて渡された。一本40ルピー、日本円で約120円だからタイより安い。
サルベーションアーミーに戻り、ステファンと腰掛けながらビールを飲んだ。
「パキスタンやイランを通ろうと思っているのだけどもビザやらはどうすればいいのか分らないし、入国できるのかどうかも知らないんだ」
「パキスタンとイランか・・・。行ったことがないな。情報は行ったことがある人に聞くのが一番いいんだけどな。でもカトマンズに行けば本屋が多いから何でもわかるはずだ。それに世界中の旅行者が集まるからな」
「タイのカオサンストリートみたいなところかい?」
「あそこはカオサン以上だ。カトマンズに行けば旅に必要な情報は何でも揃う。情報が必要ならカトマンズは行っても絶対に損しないと思うぜ」
「カトマンズか・・・」
僕は持っていた手帳の中に載っている小さな世界地図を見た。カトマンズはインドの北に位置するネパールの首都である。ネパールといえばヒマラヤというイメージぐらいしかない。そんなところに自転車でいけるのだろうか?寒くて走れないのではないか?という考えが頭に浮かぶ。彼の話によればカトマンズというところは、バックパッカーの間では聖地のような扱いを受けており、人気のスポットらしい。カルカッタからデリーまでは一直線に向かうと、そんなに距離はないから、来月には到着するかも知れないが、寄り道をしてカトマンズに行くとなれば話は別だ。しかし、カトマンズに行けばパキスタンやイランの情報が手に入るかもしれない。それに、ネパールとの国境の近くにあるダージリンに寄って、ダージリンティーを飲むというのも悪くない。ステファンからカトマンズのことを聞いて、イスラム圏へ進むための鍵が見つかったような気がした
「ところで、自転車で、どこまで行くんだ?」
「ヨーロッパに行って、ドイツかフランスのどこかの町からニューヨークに飛んでロスまでアメリカを横断するつもりなんだけど、どこからアメリカに飛ぶか、まだ決めてないんだ」
「それなら、パリにしろよ。パリのエッフェル塔にタッチしてゴールにすればいいじゃないか。でも、カルカッタからパリまで本当に自転車だけで走っていけるのか?」
パリか。エッフェル塔にタッチするのがユーラシア大陸横断のゴールというのは分りやすくていいなと思った。
「分った、エッフェル塔だ。ここからエッフェル塔まで走っていくよ」
「本気か?」
「本気さ」
「日本人はクレイジーだ。いやそれは違うか、アサムラがクレイジーなんだな」
ステファンの一言で簡単にゴールは決まった。
その数日後、僕は、いよいよパリを目指して、カルカッタを後にした。
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