|
|
シンド州へ |
VOL.16 |
|
ラホールを出発した後、サーヒワールを経て、遺跡で有名なハラッパを目指した。
ハラッパというのは2500年前に栄えて、消滅したという謎のインダス文明の都市である。住民達は身分の上下がなく、水道施設を持った高度な都市生活を送っていたらしいが、インダス文明はカイバル峠を越えて侵入してきたアーリア人に滅ぼされたといわれている。アーリア人は、その後、自分達を頂点に身分制度を作り、高度な哲学や医術などの学問を発展させた。その際、牛を神聖視したりリンガ崇拝を特徴とするヒンズーの文化を先住民族から取り入れたといわれている。現在においてもインドでは、このヒンズーの文化とアーリア人を頂点とする身分社会が残っている。遺跡の資料館には土器などや粘土で作られた牛などが展示されていた。面白いのは、その牛が現在のパキスタンやインドと同じく、背中に大きなコブを持ったコブウシであるということだ。コブウシを初めてインドで見たときは、変わった骨格の牛がいるものだと驚いたが、こうして粘土細工のコブウシを見ると、この辺りでは数千年前から、コブウシが大切にされてきたのだということがよくわかる。コブウシとの共生は、長く変わらずに続いてきたのであろうが、このハラッパという遺跡は、鉄道のレールを敷設する際に大量のレンガを持ち出したために、ほとんど形を留めていなかった。僕は、ハラッパをしばらく眺めていたが、遺跡がその姿を失ったことや、インダス文明の社会が消滅したことを残念に思うよりも、この先の治安状態がどうなってるのかということがずっと気掛かりになっていた。
ハラッパを出発した後、田園風景をぬけて到着した町で、ホテルのフロントに日本人であることを告げると、宿泊代を値下げすると言い出した。友好的に言ってくれたのかもしれないが、怪しかったので泊まらず、他のホテルを探した。観光地でもないのに日本人と聞いて泊めさせようとするホテルなんて信用できない。他の宿を探してみたが、どこも満室だったのでカネワルという町まで走り、そこに泊まることにした。旅を続けていると、誰を信じて、誰を疑えばいいのかわからなくなる。観光地では宿泊代を値引きすると言われると喜んでチェックインするのだが、普通の町で、そういうことを言われると何かしらの危険を感じてしまう。親切を鵜呑みにして被害に遭った旅行者にも何度か出会っているからだ。カネワルからムルタンを目指して走ってる間に、何度も自転車のチェーンがギヤにかからず歯飛びをおこし始めた。おかしいな、と思いながら走っているうちにムルタンに到着した。
町の真ん中で見つけてチェックインした「カーンズホテル」という安いホテルの隣には、「ホリデイインホテル」があったので、中のレストランで何か食べてみようと入ってみると、都合よく中華料理店があったので、焼き飯を食べた。日本では、たいしたことのないメニューだが、とてつもない御馳走のように感じた。町には有名なバザールがあるというので、何を買うわけでもないが見物することにした。バザールの中は広く、衣類や食料、薬を扱う店、金具や刃物、文房具を扱う店などが延々と並んでいて、方角もわからないので迷子になりそうであった。すれ違う人々が皆、僕の顔を珍しそうに見ていく。
ムルタンを出発し、バハワルプールに向けて、走っていると本格的にチェーンがギヤに引っかからなくなってきた。バハワルプールに到着すると、街の中央にいいホテルが見つかったので、早速、チェックインしてチェーンのメンテナンスにとりかかった。小さな袋に入った粉洗剤とブラシを買いに行き、ホテルの前で自転車のギヤをはずして一枚ずつ洗い、チェーンに詰まった汚れもピカピカに洗い流した。
「これで普通に走れるはず・・・」
と、思ったのは大間違いだった。詰まった泥を洗い流すとチェーンは完全に伸びきっていた。伸びきったチェーンにギヤは全然かからず滑ってしまう。三枚のフロントギアのうち高速ギヤと中速ギヤには全くチェーンがかからなかった。唯一使えたのは低速ギヤだけだった。これでは旅を続けることなんて不可能だ。ましてや、この先に待ち受ける砂漠を越えることなどできない。どうすればいいというのだろうか?予備のチェーンは持っていない。明らかに基本的なミスだ。
僕はホテルの近くにあるレストランで食事を済ませて部屋に戻り、ベッドに寝転んで考えた。
(チェーンを買いなおすか、それとも日本から送ってもらうか)
買うとすれば僕が使用しているギヤに合うチェーンは、パキスタンでは手に入らないので、ギヤごと丸々買い換えないといけない。といって日本から送ってもらうとすれば、また足止めを食らうことになる。それに、ある程度大きな町でないと無事に荷物が到着するかどうかわからない、という不安もある。
翌日もバハワルプールに滞在することにした。ラホールで足止めを食らっていた分、本来ならモタモタしてられないのだが、これからどうするべきかひとまず、自分の中で考えをまとめておく必要があった。問題の対処法を決めずに旅を続けるのは非常に危険だ。日本からチェーンを送ってもらうとすれば、受け取り地を選ばなければならない。郵便物や小包が届きそうな大きい町といってもシンド州のサッカルやカラチでは、治安が悪く危険なので、荷物の到着を待つためとはいえ滞在はしたくない。とすれば、バロチスタン砂漠の入り口にあるクエッタの町ということになる。
しかし、ここからクエッタまで500km以上もチェーンが持つだろうか。それになんといってもクエッタは標高が高い。登り道はチェーンに負担がかかることは明白だ。これ以上、チェーンが伸びれば、クエッタへ登る途中で低速ギヤにさえチェーンがかからなくなってしまうかもしれない可能性だってある。もし、そうなったら峠を歩いて自転車を押しながら、クエッタを目指さなければならない。そんなことはごめんだ。 何か、いい策はないものかと考えながら、バハワルプールの大通りをジュース片手に行ったり来たりしていた。今、自分が置かれている状況を把握して問題を浮き彫りにすること。そして問題に対する具体的な解決策が必要だった。考えながら歩いていて、ふと気がつくと町の出口にまできていた。目の前に真新しいガソリンスタンドがあって、ピカピカのコンビニが併設されている。そういえばパキスタンのガソリンスタンドは、コンビニを盛んに建設中だった。これまで走行中に建設途中のコンビニを見て何度悔しい思いをしたことだろう。コンビニにはペットボトルの水だって、アイスクリームだってあるのだ。もう少し早く建設が始まっていたか、旅行に出るのが少し遅ければ随分助けられたはずなのだが、そればかりは仕方ない。僕はピカピカのコンビニでアイスクリームを買い、来た道を町の中心へと引き返しながら再び、今後のことを考え出した。
まず、目の前にある問題として、次のラヒミヤカーンまで200kmの距離がある。これは日本最大の湖の琵琶湖の外周にあたる距離であり、一日の平均走行距離である100kmの2倍の距離だ。ただでさえ、ハードになりそうなこの区間を低速のギヤで走るなどバカバカしい行為だ。その後のラヒミヤカーンからサッカルまでも一日の平均を上回る距離だった。殺人が日常的に行われているサッカルに、自転車がこんな状態で入っていけるのだろうか。とりあえず、ラヒミヤカーンまでは早朝に出発してやるしかない。その後のことは、ラヒミヤカーンまでの距離を低速ギヤで走ってみて、どれほど疲労するかを経験してから、もう一度考えることにした。
翌日、早朝に出発して必死に走り続けた。ペダルを漕いでも漕いでも前に進まない。ギヤは一番軽いので、ペダルの回転するスピードは空転するように速いにもかかわらず、自転車は前に進まない。坂も何もない平地で何時間も必死にペダルを回転させ続ける。自転車に乗ったパキスタン人が興味を持って隣に並ぶ。しばらくニコニコしながら同じスピードで走った後、飽きてしまうのか、さっさとスピードをあげていってしまう。まるでコントをしているようだった。
「今日は誕生日だったっけ」
今までの行程で最も危険な地帯を、誕生日に最もノロノロと走っているなんて、一体自分は何をやってるのだろう。あまりにもバカらしいので、これはバカげたことではないのだと自分に言い聞かせ続けた。
ラヒミヤカーンへ到着した時には、真っ暗だった。地図の数字によると200km走ったことになる。地図に記載された数字が正しければ低速ギヤにしては速かったという気がした。なにしろ使用したのはスモールギヤのみなのだ。実際にそれだけの距離を走ったのかどうか、地図の数字は信用し難かった。確かなのは途方もなく体力を消費したということぐらいだ。町についた安心感でヨロヨロになりながら、走っていると車の中から二人の男が話し掛けてきた。町の役所勤めらしく制服を着用している。ホテルを案内してくれるというが、いくら制服を着ているからといって安心などはできない。用心しながら着いて行くと、町の中心まで連れて行ってくれた。ホテルは自分で探すと言ったが、どうしても紹介したいと言う。彼らは安いホテルを案内してくれた。このホテルが安全だという保障はどこにもなかったが、部屋の窓やドアがしっかりしていたのでチェックインすることにした。とりあえず荷物を置いた後、彼等に礼を言うと、晩御飯を一緒に食べに行こうと誘われた。「すぐに寝たいんだ」といって断ると、ジュースだけでも飲まないかと言う。彼らは、どうしても僕と少し話がしたいようだった。
旅行者にとっては、会ったばかりの人間に勧められる飲み物が一番怖い。だからといって、親切を受けた人間の誘いを断るのが難しい状況もある。このような場合、自分の経験を元に相手が善人か悪人か判断するのは危険である。なぜなら、自分に大した経験もないからだ。ではどうすればいいかというと、常に、ある程度の場合に対処できるようにしておけばいいのである。僕は彼等に「ちょっと待っていてくれないか」と言って一人で部屋に戻り、カバンの中身を残さず床にぶちまけた。空っぽになったバッグを全てベッドに鍵で固定し、バッグの内側にある隠しポケットの一つにカードを入れた。そして、ダミーのカードと100ドルが入った貴重品入れをベッドの上の目のつく位置においた。もし誰かが部屋に侵入してモノを盗むなら、ぶちまけられた中身の何かか、ダミーのカードと100ドルが入った貴重品入れを盗むだろう。これで、睡眠薬で眠らされて身包みを矧がれても問題はないし、部屋に侵入されてもカードが盗まれる確率は少ない。僕は部屋を出て彼らとジュースを飲むことにした。石榴ジュースに似た味の果実ジュースを飲み、30分程雑談した後、彼等に礼を言って部屋に帰り、カバンに隠しておいたカードを腹巻型貴重品入れに戻して、スイッチが切れたように眠った。親切にしてくれた人間達に対して疑いを持つことは、恥ずべきことであるが、最低限の安全確保もせずに相手が善人か悪人か見極めようとするのは危険なことである。
朝、目が覚めると足がバンバンに張っていた。昨日、無理をしたせいだ。足が疲れて動けないというよりも重力に体が縛られているようで起き上がることができない。ベッドから動く前に、「今日は自転車に乗るのは無理だ」と直感した。二時間ほど、横になったままで体が動くようになるのを待って、フロントへ降りていき、宿泊を一日延長したいと伝えた。横になっていたからといって疲労が取れるという保障はないが、翌日の出発に備えてずっと横になっておくことにした。
一日中寝ていたせいで、次の日になると体の調子は良かった。足も動くようになっていた。自転車を外に出して、何か腹に入れようとしたが、まだ辺りは暗く、開いている店はジュース屋しかなかったのでコーラを飲んで出発した。自転車は昨日と同じような調子で進んでいたので問題なくサッカルに着くと思われた。一人で走っていると、低速ギヤでも意外にスピードが出ているのではないかと錯覚に陥ることがあったが、パキスタン人が後ろからスイスイと追い越していくのを見ると、いかに自分が恐ろしく低速であるかがわかる。途中、昼飯を食べた時と、ジュースを飲む以外には休憩を挟まず、黙々とペダルを踏み続けた。
薄暗くなって、サッカルの近くにあるローリという町まで15kmほどのところで、対向車線を走っていた車が停車して、中の男が窓を開けて、手を振りながら大声を出していた。辺りは暗くなりかけていたので、相手にせず黙々とペダルを漕いでいると、車に乗っていたうちの一人が車から降りて両手を挙げて、大声を出しながら、走って追いかけてきた。「バカなやつがいるな」と心の中で思いながら、無視して走っていると、車が先回りして、中に乗っていた数人が自転車をさえぎって僕を止めた。「急いでいるんだ。どいてくれ」と大声で怒鳴ろうとすると、暗くて気付かなかったが、相手は警察の制服を着ている。さっきから大声で何やら言っていた男達は警察だったのだ。(しまった。警察だったのか。それにしても自分は何か悪いことでもやっただろうか?)考えてみたが別に悪いことはしていない。警察と気付かなかったから止まらなかっただけだ。悪いことといえば、反対車線を走っていたぐらいだ。これぐらいなら謝って許してもらえる範囲だろう。
彼等は僕の名前と国籍と目的地を訊いてきた。サッカルへ行くのだ、と答えると「やめろ」と言う。理由はわかっていた。危険だからだった。
「僕はカルカッタを出発してパリまで自転車で行くところなのです。カルカッタからパリまでの間、できれば自転車だけで走って行こうと思っているのです」
僕は自分の目的をわかりやすく説明した。
「やめろ。やめろ。この先は危険だ。死んでもいいのか」
そうだ。彼らの言うことは正しいのだ。ここはパキスタン最悪の治安といわれるシンド州なのだ。
何のことはない。バカは僕だったのだ。
|
|