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ダージリンの町 |
VOL.7 |
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シリグリを出て、茶畑に挟まれた道を走っていると、まもなく登り道が現れた。どうせ、たいしたことのない丘越えだろうと思って登っていたが、坂道は一向に終わる気配がなかった。道のすぐそばにはレールがあり、ペダルを踏んでいる僕の横を、小さな汽車が登っていく。この汽車はトイトレインと呼ばれ、ダージリンへの観光客には人気があるらしかった。車内から大勢の人が自転車に向かって手を振ってくれる。汽車は、人が走ってる程のスピードしか出ていないが、登り坂のせいで、なかなか追いつけない。しばらく追いかけっこをしていたが、やがて汽車は遠ざかっていった。
「あんなに遅い汽車に追いつけないなんて・・・」
僕は、少なからず屈辱を感じた。登っても登っても坂は続く。なんとなく、ダージリンが、平地にあると思っていたのは、大きな誤りであるような気がしてきた。いつのまにか自転車は、山の景色に囲まれている。相当な高さまで登っているのがわかった。延々ペダルを踏み続ける。一体、あとどれくらい坂を登ればいいのだろうかと思って、自転車を止め、巨大な谷を挟んで遠く向こう側の山へ続いている道を目で追った。
僕は一瞬、自分の目を疑った。
向こう側に見える山へと続く登り坂は、グルリとまわって、もう一度こちらの山に引き返してきているのだ。頭の上をみるとその道がある。なんということだろうか。頭上の道に出るためには、あんな遠くまで行って引き返してこないとだめなのだ。こんな登り坂は生まれて初めてだった。何もかもが違う。
「これが海外のスケールというやつか・・・」と感心してしまった。
もうすぐダージリンだ、あと数十分でダージリンだ、と自分を騙しながら、ペダルを踏み続けていると、いつのまにか昼になり、腹が減ってきたところで、ありがたいことに小さな村が現れた。
レストランや店が並んでいたので、パンを買って、道端に座り込んで食べた。店の人にダージリンまで、どのくらいの距離かを尋ねると、その村は全体の距離の真ん中辺りに過ぎず、そこからまだまだ、登りが続くという。時間を計算すると到着する頃には、暗くなっていることに間違いなかったので、再び気が重くなった。ホテルに泊まることも考えたが、結局、進むことにした。食事や水分をとって体を休ませていると、もっと進みたくなってしまったのだ。素晴らしい山並みの景色も、先へ進みたいという気持ちを掻き立てた。
僕は、少し休んだ後、補給用の水やビスケットを買って、出発した。さらに、気の遠くなるような距離を登り続け、ペダルを踏み続けていると、辺りは薄暗くなってしまった。日没が近づくとイライラし始めた。暗くなる。危険じゃないのか。ここは海外だ。こんな誰もいない山の中で襲われたら、ひとたまりもない。強盗にとって格好の餌食ではないのか。しかし、焦ってみたところで、道は細く、曲がりくねっているので、自転車は、一向に進まない。いったい、何時間、登り続けているのだろう。考えると馬鹿馬鹿しくなった。僕は、あきらめることにした。どうせ、この暗闇の中を登り続けるしかないのだ。疲れも強盗への恐れもどうにもならないのだ。ペダルを踏むよりほか仕方がないのだ。
水を飲むために立ち止まり、一息ついた後、暗いなあ、と思いながら空を見上げると、「ああ・・・」と声が漏れた。疲れていたからではない。いつの間にか、空には信じられないほどの数の星が瞬いていたのだ。朝からの疲れも、暗闇や強盗への恐れも、坂がいつまで続くかわからないことへの不安も、一瞬で吹き飛んだ。疲れ果てた身で、暗闇に目を凝らし続けていたせいか、不意に目に飛び込んできた星の輝きがよりいっそう、美しく見えた。
星をしばらく眺めて、再びペダルを踏み出すと、段々、暗闇の中を登り続けるのが愉快になってきた。もう何が何かわからない。疲れてるのかどうかもわからない。ただ、無心にペダルを踏んでいた。突然、下り道が始まり、自転車は真っ暗な道を下りだした。
「楽になった。これからダージリンまで下り道だけだ・・・」
昼に寄った店で、ダージリンの手前に8キロの下り坂があることを聞いていた。これが、その下り坂に間違いないはずだ。僕は、真っ暗で何も見えない坂を、ハンドル操作に気を付けながら下っていった。坂を下っていく前方に、やっとダージリンの町の灯かりが見えた。
「やっと着いた。これがダージリンか・・・」
僕はきらきらと輝く町の明かりに見とれた。やっと着いたのだ。 もう、自転車から下りてぐっすり眠れるのだ。町の灯かりというものは、旅人にとって本当にうれしいものだ。
坂を下りきって、町の入り口に到着すると、汽車の駅があった。あのトイトレインの駅だ。この汽車で登ってくれば、こんなに苦労しなかっただろうし、もっと早くダージリンに到着したはずだ。随分、遅れをとったが汽車に負けた気はしなかった。むしろ、勝利感でいっぱいだった。
町に入るや否や、あちこちからホテルの客引きがやってきた。一日中、坂を登ってきたので、早くホテルを決めたかったが、一応、値段と部屋が納得できるホテルを探して歩いた。町には坂や段差が多く、重い荷物を装備した自転車を押して歩くのは大変だった。
町の中心で見つけたホテルに入ると、受付のアルバイトらしき若者たちが、是非泊まれと言う。部屋を見せてもらったが、狭いので納得がいかないと渋ると、彼らは何やら相談しあった後、値段はそのままでいいと言って、一番上等な部屋に僕を通した。部屋は広く、綺麗で申し分なかったし、ダージリンは標高が高く、気温が低いのでホットシャワーが付いていたのが嬉しかった。
翌日、ユースホステルに宿泊先を変更した後、町をブラブラすることにした。暑かった平地と違ってダージリンでは長袖を着なければ外を歩けなかった。通りには、チベット料理のレストランがあり、モモというチベットの餃子を食べたりすることができた。小さいが味は紛れもなく餃子であり、懐かしく思えた。歩いていても、すれ違う人間にモンゴロイドが多いせいか、今までに訪れたインドの町よりも親近感が持てる。ところどころに、チベットの民族衣装やカバンを並べた土産屋があり、チベット仏教の仏像や、トルコ石をはめ込んだ銀細工などの店が多く、もうここはチベット文化圏に含まれているのだということがよくわかる。
町のはずれには、中国の侵攻から逃れたチベット人達の難民キャンプがあり、中に入ると織物をしたり、仏画を描いたりと民族文化を見学することが出来た。 楽しみにしていたダージリンティーを飲もう として、レストランに入り、紅茶を注文すると、「リプトン」と書かれたティーバッグが浸された紅茶が出てきた。どうやら、ダージリンティーを飲みたければ、キチンとダージリンティーを注文しなければならないようだった。
植民地時代にイギリス人の避暑地であっただけあって、町にはイギリスの建築物が多かったが、それらは、すっかり汚れてボロボロになっていた。建築された頃は、さぞ素晴らしい眺めであったであろうが、インド人達は、それらを手入れして保存しようなどということは、これっぽっちも考えてなさそうだった。どれもこれもが、見事な幽霊屋敷と化していた。
朝、目を覚まして、高台にあるユースホステルの窓から外を見ると、くっきりと朝日に照らされたヒマラヤ山脈が見えた。
「あれがヒマラヤ・・・」
僕は呆然とその雄姿を眺めた。8598mあるというヒマラヤ第5峰のカンチェンジュンガーが見える。じっと眺めていても、世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈を現実に、見ているのだということが理解しにくかった。中学校の地理で習ったヒマラヤ。地理の先生から、友人の中に、新婚旅行でヒマラヤを見に行ったものがいるという話を聞いた時、自分も、いつかは見てみたいと思った事を思い出した。
じっと眺めているとつい、無意識に「ヒマラヤ・・・」と呟いてしまう。しばらくの間、ヒマラヤに見とれた後、部屋で荷物の整理をしていると、バッグの中にテントが入っていないことに気が付いた。ポールはあるのだが肝心のテントがない。何度、探しても見つからなかった。どこで失くしたんだろう?まだ、一度も使用していないというのに。2万円もしたガスストーブだって一度も使用せずに、タイで失くしたばかりであるが、僕は、この旅の間、いろんな道具を失くしても、自分に腹を立てないことに決めていた。命綱である銀行のカードだけを失くさなければ、別に構わないのだ。町の中には、チョウラスターと呼ばれる広場に大きな本屋があった。店の品揃えは充実しており、英語の本が沢山、並んでいた。本屋に入ったのには理由があった。ネパールの地図を手に入れるためである。いくら麓のシリグリから、すぐそこにネパールがあるといっても、首都カトマンズまでの道が、どうなっているのかわからなければ、不安で入国できない。山地の標高は?道はあるのか?宿泊できそう な町 と町の間の距離は?知りたいことはいくらでもある。
地図のコーナーを見つけたので、ネパールの地図を探してみると簡単に見つかった。部屋に戻って、地図を見るとカトマンズまでの道は殆んどが平地であり、峠は70キロぐらいしかないように思われた。とすると、シリグリからダージリンまでと同じぐらいである。それなら多少キツイが大丈夫だ。このダージリンまでの道程で、朝から晩まで峠を登れることは、 既にわかっている。ダージリンに滞在中、町の議員が政治グループによって殺されたということで、ストライキが起こった。ホテルもレストランもタクシーもバスも汽車も何もかもがストップし、町は静まり返ってしまった。ユースホステルにはレストランがなかったので、レストランを備えたホテルに裏口からコッソリ入れてもらって食事をとっていた。町にいた観光客は皆、交通手段がストップしたせいで不安になっていた。バスも汽車もないので、ダージリンに閉じ込められた状態になってしまったのである。中には飛行機の予約の都合で、急いで町を出なければならない者もいたが、ストライキだけはどうにもならなかった。夜中に町を数台のバスが出ることになったが、そのうち何台かは途中で、石を投げられたらしく引き返してきたようだった。何で、石を投げられるのか、よくわからなかったが、峠に犯人たちが潜んでいて銃で撃たれないかどうかということが気になった。何しろ体がむき出しの自転車である。
3日程様子をみて警察に情勢を聞いてみると、犯人達は他の州に逃走したという。汽車やバスはストップしたままだったが、自転車で町を出ることにした。交通機関を利用する旅行と違って自転車旅行は、こういうときに便利である。8kmの登りが終わると、長い下り坂が始まった。山並みを眺めながらの下りは爽快だった。朝から晩までかかった行きと違って、2時間半程で麓に着いた。気温は再び上がり、長袖が要らなくなったので、半袖になってしばらく走ると、シリグリの町に到着した。
ダージリンに登る前に泊まっていたホテルにチェックインして、重大なことに気がついた。何たることか。ストライキが収まるのを待たず、急いで町を出発したせいで、僕はダージリンでダージリンティーを飲んでこなかったのである。
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