国境からは大した距離はなく、昼過ぎには、パキスタンで最初の宿泊予定であるラホールの町に到着した。賑やかで、建築物も新しく立てられたものが多く目に付く。 駅前にある何軒かのホテルの中から、宿を選ぶことにしたが、ここラホールには問題があった。 旅行者達の話によると、駅前には泥棒宿が多いらしく、寝ている間に部屋に侵入されるなどという、よからぬ噂が出回っていて、旅行者の殆んどは駅から離れたアナルカリバザールという商店街にあるホテルなどに泊まっていた。 泥棒宿が嫌なら、他の旅行者同様、駅前を避ければいいだけの話なのだが、駅前の賑やかな雰囲気が気に入ったし、バザールの方へ行くのは面倒臭かった。 駅前のホテルを何軒か廻ってみると、信頼できそうなホテルを見つけたので泊まることにした。 ホテルの中は何人かの従業員がペンキを塗り替え途中で清潔感とやる気が感じられたし、一階はレストランになっていて喫茶店のように涼むこともできたので、僕はたちまち、このホテルが気に入ってしまった。 翌日、イランビザを申請するために、バスに乗ってイラン大使館へ行ってみることにした。イランビザの取得は、申請してから日数がかかるとわかっていたので、ラホールに到着したら真っ先に済ませておこうと思ったのである。申請が遅くなればなる程、この町で足止めされる時間が長くなってしまうので、モタモタしているわけにはいかない。 デリーで取得していたら五日で取得できたのだが、その場合、一週間トランジットビザしかもらえない。トランジットビザの場合、滞在を延長できるのが一週間程度なので、時間のかかる自転車で旅行するには、どうしても一ヶ月以上の滞在延長が可能なツーリストビザが必要なのである。 ラホールの駅前からは次々とバスが発車していた。 バスは日本製の中古のワゴン車などが使用されていて、日本語で会社や店の名前とか住所、電話番号が書かれたままになっていたものが多かった。もし車体に記された電話番号を控え、帰国後に電話をかけて会社の車の行く末を知らせてやったら迷惑ながらも喜ぶのではないかと思ったが、中には倒産した会社もあるかもしれないと思うとむなしい気分になった。 何十台ものワゴン車が行き先ごとに列をなしていて、乗客が集まると順番に発車して行く。バスは番号ごとにコースが決まっていて、駅前から発車して、また最後には駅前に帰ってくる仕組みになっていた。一台のワゴン車に、これでもかというぐらい人が詰められ、20人ほどが乗車している。 行き先を確認して乗り込むと、バスは開発が整ったラホールの町並みを抜けてイラン大使館の近くのバス停に停車した。人数が多く身動きが取れないので、「ここで降りるんだ」と声を出しながら他の乗客を押しのけてバスを降り、地図を見ながら歩き出した。 すぐに、目的地のイラン大使館が見つかったのはいいが、なぜか大使館は閉館している。 何で閉まってるんだろう?と思ったが、すぐに自分がイスラムの習慣を忘れていたことに気がついた。イスラム圏の公的機関は金曜日を休みにしていることが多いのだ。イスラム圏の習慣をすっかり忘れていたというか、信じてなかったというか、とにかく遥か彼方のまだ見ぬイランに入国する前から出鼻をくじかれたようだった。 イスラムの洗礼は、それだけでは済まず、その次の日は半袖半ズボンで大使館へ行ったため門前払いを食らってしまった。イスラム圏では肌を見せるのを慎むため、半袖や半ズボンは公の場では非常識とされているのだ。 服を着替えて出直してこようかと思ったが、受付は昼までだったので諦めることにした。 (この暑い中、イスラムのルールを無視して二度も失敗するなんて、何をやっているんだろうか。) 帰り道に発見したマクドナルドで、ハンバーガーを食べながら、自分を情けなく思った。 マクドナルドの中は随分とクーラーが効いていて快適だった。新聞があったので開いてみると、ダコイトというグループによる殺人テロがあったことを知らせる記事が目に付いた。(どこで起こった事件だろう)と思って読んでみると予想通り、これから向かうべきパキスタン南部に位置するシンド州である。 シンド州はパキスタン最悪の治安といわれ、危険度がかなり高いようなので自転車で走ることは不可能ではないのか、と思っていたが、やっぱりこんなニュースが報道されている。しばらく新聞の記事を見つめながら「本当に走る気か?このシンド州は危険なのだ。自分は、それがわかってないのだ」と何度も自分に言い聞かせた。マクドナルドの中にいると、ここは日本じゃないということを頭で理解するのは難しかった。日本との違いといえば、パキスタンのハンバーガーは暑さのためにわざと効かせているのか、少し塩味が強いような気がしたことと、入り口にライフルを持った護衛が立っていたことだった。 翌日、ようやくビザ申請を受理してもらえたが、次は10日後に来いという。 こんな暑い町で10日も過ごすのかと思うとうんざりしたが、ビザ待ちなら仕方がない。 どうにかして待ってみるか、と諦めた。 ラホールという町は、ガンダーラ美術を収蔵するラホール博物館とムガール帝国時代に建てられたラホール城、世界最大級のイスラム寺院であるバードシャヒーモスクなどの見所はあったが、パキスタンを旅する旅行者の多くは北部の山岳地帯にあるフンザという観光地を目当てにするため、博物館やラホール城を見て素通りしてしまい、長く滞在する者は稀なようだった。イランビザの申請を行う者もいたが、申請してから発行されるまでに日数がかかるため北部の観光地に移動して時間を潰す者が多かった。 これから10日間もこの町で過ごさないといけないのだから、何か楽しみを見つけておこうと思い、ラホールの町を探索することにした。 日本ではゴールデンウィークの時期だった。きっと、休みを利用してあちこちへ忙しく出かける日本人がいることだろう。ゴールデンウィーク以上の期間をビザ待ちのために、いたくもない町でダラダラと過ごしていると罰が当たりそうだった。 パキスタンはさすがにイスラム教徒の国であるので、インドとは違って誰もかもがムスリムドレスを着ている。薄手の生地でブカブカに作られているため風通しが良く、長袖が直射日光を防ぐので、気温が毎日40度を越えるような暑い土地では合理的な着物だということが見ただけでわかる。町を歩いている者の中には油や土埃で真っ黒に汚れている服を着ている者も少なくないが、彼らは作業中だろうが自転車に乗るときだろうが、それを着用している。 まず、せっかくなのでラホール博物館を訪れることにした。ここにはガンダーラ地方で出土したガンダーラ美術の傑作が並んでいる。世界的に有名な「苦行する釈迦像」もこの美術館にある。 数時間を美術館で過ごし、ホテルに帰る途中で見つけたベーカリーでチキンバーガーを二つ買ってレンジで温めてもらい、貪りながら町を歩いた。 ラホールは映画館の多い町だった。気付けば、どの映画の看板にも銃を持った男たちの絵が描かれていた。見るからに暴力的な映画ばかりだ。しかし、銃を持った男達は看板の中だけにとどまらず、町のいたるところで見ることができた。 ショッピングセンターの入り口にもライフルを持った男が護衛していたし、彼らからたまにボディチェックを受けることもあった。これが普通なのか、と考え出すと、日本がおかしいのか、ここがおかしいのかわからなくなりはじめる。本当に常識というものがいかに狭い範囲でしか通用しないか、ということがよくわかる。常識は場所が変われば変化するし、時間が立っても刻一刻と変化する。常識なんていうものの実体はどこにもない。 僕のラホールの一日は、いつもホテル一階のレストランでバタートーストを5枚食べることから始まった。涼しいレストランの中で、テレビを見たり本を読みながらバタートーストを食べる。誰もいないレストランのテレビでは、常に映画のコマーシャルや、いつも飲んでいる「ミリンダ」というジュースのコマーシャルが流れている。 朝食を終えるとホテルを出て、駅前で水を買ってバス停に向かう。三番のバスに乗ってチャリングクロスと呼ばれる町の中心にある交差点でバスを降りる。チャリングクロスからメインストリートを歩き、途中でアイスクリームを買って食べながらアナルカリバザールの入り口にあるインターネットショップでメールをチェックする。そして、帰りにケーキ屋でエクレアのようなものを買い、本屋に寄って時間を潰した後、アイスクリームを買ってラクシュミーチョークという交差点のパン屋で、チキンバーガーをレンジで温めてもらってバイク屋街を抜けてホテルに帰る。 ホテルの部屋でしばらくベッドに寝転んだ後、駅前の屋台に鉄串の焼き肉を食べに行く。駅前の道路には、いつもバスやタクシーが並び、歩道にはゴザを敷いて時計や雑誌、ガラクタを売る男達や、屋台に集まるパキスタン人で溢れ返っている。その賑やかな様子を背にしてベンチに座り、触れると火傷しそうな鉄串に刺さった肉を一つずつ慎重にかじり、夜の時間の使い方を考える。暑さで塩分を失っているせいか、日が沈むと、塩をガンガンにきかせた串焼きが食べたくて仕方なかった。 夜になれば、カトマンズで手に入れたパキスタンの地図を開いてルート上の都市と都市の距離を調べたり、デリーの古本屋で購入した西アジア史の本をパラパラとめくって寝るだけだった。それが基本的なラホールの一日の過ごし方になっていた。 ある日いつものように町を歩き、アナルカリバザールの方へ足を伸ばすと正面から日本人旅行者が歩いてくるのが見えた。 話し掛けると彼は、たった今ラホールに着いたばかりで、ホテルに泊まるためにアナルカリバザールへ来たのだという。 彼がホテルにチェックインを済ませた後、マクドナルドに行って話を聞くと、自分と同い年で、香港を出発してヨーロッパに向かっている途中だということがわかった。 彼も、ビザ申請するために、しばらくの足止めを食うことになっていた。お互い暇者同士、親しく付き合うことになった。 彼は食い物には目がないらしく旧市街で鳥の丸焼きが売っているから食ってみようだとか、ラクシュミーチョークに美味い肝を売っている屋台があるから食べに行こうだとか、信じられないような程のイチゴの量を使ったイチゴシェーキがあるといった情報ばかり集めてきた。 ある日「ビールを買いに行こうよ」と彼が言った。 日本という島国においては、神々の前に欠かすべかざるものであり、社会生活に深く浸透した飲酒という行為は、イスラム教徒のあいだでは、禁じられている。しかし、ここパキスタンにおいてはアルコールパーミットさえ申請して取得すれば高級ホテルなど特定の場所での飲酒は可能であるということはわかっていた。 「ホテルに行けば絶対に手に入るよ」と彼が言う。 彼は高級ホテルに行けばアルコールが手に入るのでは、と考えたのだ。無論、パーミットなぞ取得してなかったがそこは交渉力でどうにかなるだろうという甘い考えだった。 「そんな簡単にはいかないだろう」とは言ったもの実行する価値はあった。何しろ我々は、どうやって時間を潰すかということを考えることで、毎日の時間を潰す生活をおくっていたのである。とにかく時間さえ潰せれば良かったのだ。 ラホールで高級ホテルを見つけるのは簡単だったので、我々はそのうちの、一つに見当をつけて聞き込みに入った。ホテルマンによると、どうやら裏手の地下にアルコールの保管庫があるようだった。 そこへ行ってみると話のとおり地下室があり、体の大きな管理人がいて、案の定、パーミットが無い者には販売することはできないと言う。 我々は、身振り手振りを交えて相手を説得し、なおかつ値段も負けてもらって、六本の瓶ビールを無事に手に入れた。 目的を達成できた我々は、見つからないように、ビールをかばんの中に隠して、旧市街で鶏の丸焼きを買ってホテルへ戻り、じっくり味わうことにした。 「輸入しているのでは」と思ってラベルを見ると、パキスタンの首都イスラマバード製と印刷されている。 「冷えてないけどビールは、やっぱりビールだね。ビールが飲めるのならこの町にいても我慢できそうだよ」と彼は幸せそうに言った。 「確かにこれから先、堂々とビールが飲める町はトルコまでないのか」 一体、トルコなんていつ到着するのだろうか、と考えるだけで気が遠くなる。 「何と言っても次に待ち構えるのは、イランだよ」と彼が言った。イランは法律が厳しいという噂はよく聞いていた。 しかし、イランが待ち構えているどころかパキスタンだって入り口に留まっているだけなのだ。 それからは彼とビールを飲む日々が続き、そのうちにイラン大使館へビザ代の振込みの日が来た。振り込んでから、さらに四日待って、とうとうイランの二週間ツーリストビザを取得することができた。 「これで、ラホールともお別れだ」 「元気で、応援してるよ」 僕はラホールと飲み友達に別れを告げた。