イスファハンに到着すると、僕は「アミール・キャビール」というホテルにチェックインした。部屋に荷物を運び込み、飲み物を買いに行こうとすると、通路で、三人の女の子と出会った。彼女達は、日本語で書かれたイランのガイドブックを読んでいたが、彼女達の会話は日本語ではなかった。 「日本人ですか?」 そうでないことは、わかっていたが、訊ねてみた。 「違います。私達は韓国人です」 韓国人であるということは予想通りだったが、驚いたのは返事が日本語で返ってきたことだ。 「日本語喋れるの?」 「少しだけ。大学で勉強しました」 韓国では反日感情があるというイメージがあったので、日本語を勉強している若者がいることを知って驚いた。彼女達は、英語で書かれたガイドより、日本語のガイドの方が、写真が豊富でわかりやすいという理由で、それを使っているらしかった。 翌日、韓国人の女の子達に「もし暇だったら、私達と一緒にどこかのチャーイハーネへ行かない?」と誘われた。 「別に構わないよ。何の予定もないしね」 イランで旅行者と会うのは久しぶりだったし、彼女達が日本の隣の韓国出身ということもあって気軽に誘いに応じた。イランではチャーイハーネと呼ばれる喫茶店が多く、旅行者達にも、チャーイハーネ巡りは人気がある。我々は町の中心を流れるザーヤンデ川にかかる「スィー・オセ・ポル」という橋の下段にあるチャーイハーネを選んだ。 サファビー朝の1602年に建造されたこの橋は、イスファハンの名所のひとつで、観光客にとっても地元の人間にとっても重要なスポットである。スィー・オセとは33を意味し、橋の上部のアーチが33あることからこう呼ばれる。 チャーイハーネには沢山のイラン人客がいたが、我々は、誰もいない窓際のテーブルを見つけて、そこに座りチャーイを注文した。彼女らのうち、ユニという女の子は、僕と同い年で、ナリとスゲの二人は二つ年上だった。チャーイを飲みながら、ナリとスゲは自分達の描いたスケッチブックを見せてくれた。二人は韓国で自分達の描いた絵入りの旅行記の出版を企画していて、そのために常にスケッチしているのだという。これまで観光以外の目的をもった旅行者に会うのは少なかったので、僕は感心した。 「イスファハンは世界で最も素晴らしい町のうちの一つだね」 チャーイを飲みながら、僕はイスファハンの感想を言ってみた。 「え〜・・・」 三人は声を揃えて否定的な表情をした。 「そう思わないのかい?」 「イスタンブールはもっと素敵よ」 「そうなのかい?この町も十分魅力的だと思うけどな」 トルコのイスタンブールが素晴らしいということは予想していたが、このイスファハン以上に魅力的であるという町は、どんなものなのか想像できなかった。 チャーイを飲んだ後、我々はイスファハンの最大の見所であるエマーム広場に行った。縦510m、横163mという大きな広場を囲んで、青いドームを持つマスジェデ・エマーム、ベージュのドームのマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー、アーリー・ガープー宮殿がずっしりとした存在感を示している。まさにペルシャの世界だ。 「すごい建築だな」 僕はマスジェデエマームのエイヴァーンを見上げた。鍾乳石飾りと呼ばれる天井に幾何学模様とアラビア文字が、隙間なく埋め尽くされている。こんな発想、どこから来たんだろう?何もかもが目に新しかった。世界にはこんなに素晴らしいものがあったなんて、ちっとも知らなかった。広場に面したエイヴァーンをくぐると、45度の方向に中央礼拝堂がメッカの方角を向いて建っている。まさにここにある美とは、建築技術と強烈な信仰の合体である。「エスファハン・ネスフェ・ジャハーン(エスファハンは世界の半分)」という言葉があるが、このエマーム広場を見れば何となく理解出来る気がした。 「一日中ここにいても厭きないわ」 スゲとナリは早速スケッチを始めた。しばらく、この広場を眺めているだけで満足な気持ちになってくる。広場から戻って、ホテルの中でジュースを飲んでいると、フロントの男が話し掛けてきた。 「私は韓国人女性は嫌いだな」 彼は、僕が韓国の女の子達と親しくしているのを見て忠告してくれているようだった。 「どうしてだい?」 「韓国の女性は気が強くて、いつもトラブルを起こすからさ」 「へえ。日本人女性とは、えらく違うな。国民性がそんなに違うのかい」 「君たち日本人は韓国について何も知らないだろう?」 「確かに、僕は韓国に関する知識は少ないかな」 「日本は韓国に追い抜かれることになるよ。日本人はそれをわかってるのかい?町を見たまえ、十年前までは安くて性能のいい車といえば日本車だった。それが今では、どこを見ても韓国製の車が走っている。日本人は韓国を見下しているけど、もう君の国は韓国に勝てなくなるよ。君達日本人は、あまりそのことがわかってないようだけどね」 「まあ、韓国は随分と発展したみたいだね。ところで君達イラン人はパキスタンを馬鹿にしているけど、パキスタンはインターネットの普及に力を入れているのを知っているかい?大抵の町にはインターネットカフェがあって子供や若者がいつもコンピューターを使っている。でもイランでは政府が他国からの情報をストップしたがっているからインターネットは、それほど普及していないし、衛星放送だって自由ではないだろう?パキスタンは英語とコンピューターを使える子供たちが国を担うんだよ。それに比べてイランはどうだい?パキスタンに限らず、僕の訪れたタイ、ネパール、インドだってインターネットの普及はすごかったよ。このままじゃ国際競争についていけなくなるのはイランじゃないのかい?君たちイラン人は、あまりそのことがわかってないようだけどね」 僕が旅で知り得た二国の現状を話すと、フロントの男は黙ってしまった。 陽が落ちるとナリが「一緒に食事に行かない?」と声をかけてきた。 「いいけど、どこへ?」 「アッバシィーホテルっていう豪華なホテルがあるんだけど、そこの庭で食事ができるのよ」 「高いんだろう?」 「それが食事はそんなに高くないのよ」 説明を聞くと、普段の食事の値段と変わらなかったので、行ってみることにした。アッバスィーホテルは宮殿のような豪華なつくりで、庭には花が咲き乱れ、大勢のイラン人の家族連れでいっぱいだった。我々は庭に並んだテーブルの一つに席を取った。まるで昼間に訪れたエマーム広場で食事をしているような気分だった。 「こんな贅沢な気分、なかなか味わえないわ」 「私たち、大金持ちになったみたい」 「でも、注文したのはピザとコーラだけどね」 韓国人の女の子三人は大はしゃぎだった。ホテルの中庭は大勢の客で賑わっていた。贅沢な雰囲気なせいか、話は弾んだ。 「もうこんな時間だ。そろそろホテルに帰ろう」 僕は、女性3人を連れて夜道を歩くのが心配になって、早めにホテルへ帰るように提案した。 「まだ、大丈夫よ」 ナリは時計を見て言い放った。 「あんまり夜中にウロウロするのは良くない」 「あなたは心配性ね。全然、平気よ」 彼女達は笑いながら受け流した。それから30分ほど経って、再び「帰ろう」と言ったが、彼女達は応じなかった。僕は苛立った。誰の心配をして帰ろうといっているのか、まるで理解していない。次第に他の客はいなくなり、とうとう客は我々だけになった。 「もう、いい加減に帰ろう。ホテルの営業も終了の時間だ」 「そうね。そろそろ帰りましょう」 彼女達はやっと腰を上げた。ホテルに向けて、夜道を歩いていると、ユニが僕の腕を掴んだ。 「どうした?」と聞くと、前を歩いている男達が、追い抜きざまに体を触ったと言うのだ。言わんこっちゃない。こんな夜遅くに歩くからだ。 僕は「知ったことか。だから早く帰ろうと言ったはずだ」と吐き捨てたかった。 しかし、そういう態度をとれば、日本人男性は頼りにならないというレッテルを貼られてしまうに違いない。 三人の目は、痴漢をやっつけろ、と訴えている。僕は面倒な展開になったと思いながら、イラン人の男を捕まえて、彼女に謝れと言った。何のことだ?という顔をしたので、腕をひねり上げると、もう一人の男が、僕に抱きついてきながら「許してやってくれ」と頼んできた。別にこちらも本気で怒ってないので、放してやろうと思っていると、抱きついてきた男の手が僕のシャツの中へ入っているのが見えた 。「許してやってくれ!許してやってくれ!」と男は声を上げながら、僕のシャツの中へ手を延して首から提げた貴重品入れを開けようとしている。痴漢の件は許してやろうと思っていたが、どさくさに紛れて僕のモノを盗もうとしているのを見て、一気に怒りが爆発した。僕は、男の頭を掴んで壁に押し付けた。男は逃げようとしたので、動かなくなるまで膝蹴りを入れた。 おとなしくなったので、二度と日本人に手を出したくなくなるように脅そうとすると、背後に嫌な気配を感じた。周囲を見回すと、どこからか集まってきた30人ほどのイラン人達が、僕たちを取り囲んでいた。 (しまった!) イラン人達は事情を知らないので、ただの一方的な暴力と誤解されているようだった。イスラム教徒たちは互いを仲間として重んじる傾向があるために結束が強く、誰かが外国人に暴力を受けているのを見過ごすわけがないのだ。彼等は僕に怒りの眼差しを向けながら、何か口走っている。どう考えても危険な状況だ。誰かが、僕にかかってきたら、恐らく皆、一斉にかかってくるだろう。女の子3人を連れて、イラン人の輪を突破するのは無理だし、この人数を相手にしてはどうしようもない。 僕は大声で「この男達は、女性の体に触り、財布を盗もうとした!」と叫んだ。 「イランでは人の財布を盗むことは正しいことか!」 僕はそこにいる全員に向かって、大声で問いかけた。イラン人達は英語を理解できないだろうと思ったが、とにかく、悪いのはこいつらだと伝えようとした。すると、イラン人達はヒソヒソとお互いに話し始めた。どうやら英語を理解できるものがいたようだった。さらに「この男のやったことはイランでは許されるのか!」と叫んでいると、都合よくパトカーが走っているのが見えた。 (しめたっ!) 僕は男を掴んだまま、パトカーに向かって手をあげた。すると、二台のパトカーが、目の前までやってきて停車した。僕は警官に事情を説明して、男をパトカーに押し込み、三人の女の子達を、もう一台のパトカーに乗り込ませた。そして、警官に警察署へ行ってくれと言った。パトカーが、人だかりを後にして走りだすと、僕は一安心した。 警察署に着いて、もう一度、経緯を話すと、警官たちは罵声を浴びせながら男を蹴りつけた。僕は十分膝蹴りを入れた後なので、ちょっと気の毒に思った。事情聴取が済むと、警察は我々をホテルまで送ってくれた。 「君たちは明日、チェックアウトして別のホテルに変えた方がいい。警察とのやり取りを男に聞かれていたら、このホテルは知られている」 しかし、彼女達はホテルを変えようとはしなかった。 「なんでホテルを変えないんだ?」 「私達はオーバーステイしているから、多分、新しくホテルにチェックインできないわ」 「オーバーステイ?」 僕はびっくりして聞き返した。 「内緒、内緒」 彼女達はニヤリと笑った。 「イランは、いい加減なインドなんかと違う。この国は法律にうるさいんだから、あんまり舐めてちゃダメだよ」 「平気、平気」 「僕も、ビザ延長するつもりだから、一緒にビザオフィスへ行こう」 「でも、もう滞在期限は切れているから」 「とりあえずオフィスへ行って、役人の言うことを聞いてみないと」 僕は強引に彼女たちをビザオフィスに連れて行くことにした。僕のビザは、まだ滞在期限には余裕があるということで延長してもらえなかったが、3人は何の問題も無く一週間の延長が認められた。 「来てよかったな」 他人事だが、ほっとした。 「もう一週間、堂々と滞在できるなんて嬉しい!」 「もう今度はオーバーステイしないように気を付けないと」 フロントの男が、韓国人女性は気が強くてトラブルを起こすから苦手だといっていた理由が何となく理解できた。ビザオフィスから戻ると、一人でエマーム広場に行ってみた。しばらく、ボーっと広場を眺めた後、バザールを歩いてみることにした。薄暗いバザールには絨毯屋が多かった。時間潰しに絨毯屋の若者とチャーイを飲みながら話をしていると、若者が絨毯を買わないか?と話を切り出してきた。 「自転車で旅をしているから絨毯なんて邪魔になるんだ」s 「自転車旅行では無理だな。だけど君の国へ送ることもできるよ」 「面倒臭いからいいよ。しかし、随分いろんな種類があるけど、この店の絨毯はエスファハンのものばかりかい?」 「いや、そうじゃないよ。ケルマンやタブリーズのものもある。これはシラーズ、これはバローチ」 「バローチって、これはバロチスタン製なのかい?」 「そうだよ」 それを知ると僕はどうしても、その絨毯が欲しくなった。正直なところは絨毯というものが欲しかったのではない。あの死に物狂いで越えたバロチスタン砂漠の記念になる物が何か一つでもいいから欲しかったのだ。バロチスタンでは何も記念になるような物を持ってこなかった。今から戻ることなんてできない。しかし今、目の前にバロチスタン製の絨毯があるのだ。ここで手に入れなければ二度とチャンスは訪れないだろう。僕は、思い切って絨毯を買った。 ホテルに戻ると部屋の入り口に伝言を書いた紙切れが張ってあった。インドで別れたアキラからのもので、夜九時に、近くのホテルの前で待ち合わせをしようと書かれてあった。部屋で少し横になったあと、タクシーを捕まえて約束のホテルに向かった。街中を少し走って、タクシーを降りると、そこにはアキラが立っていた。 「久しぶりだな!元気だったか?」 アキラはトランジットビザでイランに入国したため、イランを駆け足で旅していた。 「せっかくだから、いい場所へ行かないか?」 僕はアキラをアッバスィーホテルへ連れて行った。 「へえ、こんな場所で食事ができるのか?」 「すごいだろ?昨日も来たんだけどな」 彼は、パキスタン北部で、ロバを連れてトレッキングしたことなどを語り、僕はバロチスタン砂漠を越えることが、どれほど困難だったかを説明した。あっという間に時間は経ち、気付くと他に客はいなくなっていたので引き上げることにした。我々は、二人とも、翌朝にイスファハンを出発する予定だった。 「次はテヘランで会えるかもな。自転車だと、どのくらいで到着するんだ?」 「多分、三日後には着く」 「じゃあ、会えるはずだな。気をつけて来いよ」 僕らは再会を約束してそれぞれの宿へ戻った。イスファハンからは荒野が続いた。夜になると、僕はペルシャ絨毯を敷いて、その上で飯を済まし、絨毯に寝転んだ。イラン高原は星が降ってくるように見えた。目が覚めるたびに星の数が増えていく。おそらく、アレキサンダー大王も、ペルセポリスに向かって進軍する途中で何度か、この星空を見上げたことだろう。豪華な食事をしてるわけでもないし、高価な服を着ているわけでもないのだが、誰もいない荒野で絨毯に寝転がって、星空を独り占めしていることが、何か、とてつもなく贅沢をしている気分になった。