ドイツに入国すると一時間もたたないうちに警官に呼び止められた。どうやら不審者と思われたのだ。パスポートを見せても中々、解放してくれない。自分の身なりが、みすぼらしいからなのか、アメリカの同時多発テロで、ヨーロッパも警戒しているからなのか、わからないが、警官は相当、僕を怪しく思ったようだった。しばらくして、やっと解放されたが、すっかり走る気をなくしたので、早々とテントを張ることにした。
ふと気付くと、雨の音が聞こえる。さっきから雨が降っていたのだ。このところ毎晩雨が降る。テントに潜って、しばらくすると雨がパラパラと鳴り始める。雨音を聞いていると自分が一人なのだということがよくわかる。そのうちに雨の音も、自分がここにいるのかも分からなくなる。ただ、雨が降っていて、テントに自分が横たわっている。ふと我に帰れば、雨音を聞いている自分がいる。そして、またしばらくすると、雨とテントと、テントを叩く雨音と、自分との境界線がなくなってしまう。
ドイツに入って二日目に、バイロイトに到着した。
小さなパン屋があったので入ってみたが、どのパンも丁寧に焼いてあるのが良く分る。いろんな種類のパンがあったが、安いものを選んで買った。焼きたてだったので暖かい。雨続きで、気が滅入っていたが、このパン屋に入っただけで、僕の気分は随分と高揚した。
翌日も凍えるような雨が降っていた。逃げ込むように、アラルというガソリンスタンドに入ってコーヒーを飲んだ。スタンドに設けられた売店には、ドイツの地図が売っていたが、値段を見ると高い。しかし、ルートを設定するために必要なので購入した。
スーパーで買い物を済ませて、駐車場を見るとベンツ、フォルクスワーゲン、アウディ、BMWが当たり前のように並んでいる。カルカッタを出発して何千キロ走ってきたのかわからないが、ここはもうドイツなのだと実感した。
ペグニッツという町にさしかかると「レディオアクアクティブ」という自転車屋があった。サイクリング王国と呼ばれるドイツの自転車屋は、一体どれほど充実しているのか興味があったので、中に入ってみると、さすがにいろんな自転車やパーツ、グッズが並んでいる。店の若いオーナーはコーヒーでも飲まないか?と言って一杯のコーヒーを入れてくれた。
「あれは君の自転車かい?随分、チェーンが汚れているな、時間はあるかい?」と言って彼は自転車のチェーンをクリーニングしてくれた。
「この町にはロールマットを売っているような店はあるだろうか」
と聞くと「近くにアウトドアショップがあるからそこで手に入るだろう」と彼は場所を教えてくれた。
「君の自転車には何か問題はあるかい?」
「自転車に問題はないけど、靴を買わないといけないな。毎日、雨の中をトルコで買った革靴で自転車に乗ってるんだけど、いつもずぶ濡れになるし、寒いんだ」
「いや靴を買う必要はないだろう。これを使えばいいんだ」
そう言って彼が差し出したのは靴の上から巻きつけるシューズカバーだった。
「いくらぐらいするんだろう?」
「金はいらない。これはきみへのプレゼントだ」
「でも、これは商品だろう?」
「君にはこれが必要なんだよ」
彼はシューズカバーを僕に握らせて「これも持っていくといいよ」と言って、チェーンクリーナーもくれた。彼に礼を言って、教えてもらった通りに町の中を探すと、アウトドア用品店があった。少し値段は張ったが、ロールマットを手に入れることができた。これさえあれば寒さも怖くない。今晩から安眠できるはずだ。
雨の中、町のはずれにあった小高い丘に行き、泥だらけになりながら自転車を押して丘を上り、テントを張った。雨に全身を打たれていたが、全然気にならなかった。ようやく手に入れたロールマットのおかげで、僕は寒さを感じずに眠った。
ペグニッツからはポッテンスタインへ向かい、僕はそこでガスストーブを買った。470号線はとても美しい街道だった。澄んだ川には、魚が沢山泳いでいる。橋の下で鍋に湯を沸かして、パスタを作り、それを食べ終えた後、雨を眺めながらコーヒーを飲んだ。
いくら待っても天気は良くなりそうに思えない。これぐらいの雨ならどうってことないだろう、と自分に言い聞かせた。もちろん、雨が降るとシャツが濡れる。ズボンも、靴も濡れる。体中が濡れる。レインコートを持たずに自転車旅行しているなんて、なんて馬鹿なことをしているんだろうと思った。
ドイツのサイクリングロードは自転車に向いていない。舗装状態も良くないし、何よりいきなり途切れるからである。前触れもなしに自動車専用道路に接続したり、行き止まりになっていたり、全くペースを乱される。地元の人間であれば、そこそこ道を把握しているが、よそ者には全く厄介である。一日に何度も行き止まりに出くわすと流石に腹が立ってくる。たいした距離でなくても目的地へなかなか辿り着けない。
ドイツに入国して5日目に、世界遺産に指定されている都市バンベルグに到着した。バンベルグは美しく見所も多いが、あまり時間を割いてもいられない。何せ久しぶりに晴れたので本当なら観光などせずに、一気に進んでしまいたかったのだが、少しぐらいは観光しておこうと思った
新市庁舎のあるマックス広場から赤茶色の屋根が続く美しい町並みを抜けて行くと、レグニッツ川にかかる橋の真ん中に、トンネルを持った建物が現れた。これはバンベルグの旧市庁舎で、領主の住む側と市民の住む側を隔てる川の上に建っている。この旧市庁舎のトンネルをくぐりぬけ、丘の上に続く坂を登って、広場に出ると、4基の塔を持つ巨大な皇帝大聖堂と壮麗な新宮殿が建っていた。大聖堂の中に入ると中世キリスト世界の王侯や騎士の理想として有名な「バンベルグの騎士」という彫刻があった。騎士といえば甲冑に身を包んだ姿を連想するが、これは甲冑も何も身につけない繊細な王子様のような姿をしている。騎士というのは、もっと頑健なイメージがあったのだが、随分かけ離れたものだった。大聖堂の裏手にある旧宮殿を見てるうちに雪が降ってきた。再び旧市街に戻り、小ヴェニスと呼ばれる漁師の家並みを眺めた後、バンベルグ名物のスモークビールを飲んで町を後にした。
立ち寄っただけであったが、町の観光的な見所は集中していたので、グルリと歩いて周るには、それほど時間がいらなかった。
バンベルグを観光した翌日は久しぶりの快晴だった。ヴリュツブルグを目指して、好調に走っていると、前から走ってきた二人組みのサイクリストとすれ違った。そのまま通り過ぎて道端で休憩していると、誰かに後ろから声をかけられた。見ると、さっきすれ違ったばかりの二人である。少し立ち話をすると「私は、この近くのキッチンゲンという町に住んでいるんだ。よかったら、今夜はウチに泊まらないか?私達は、少しサイクリングをした後、夕方には家に帰るんだが、その頃に連絡をくれればいい」彼は、そう言って名刺をくれた。名刺を見ると、彼はヘルベルトという名前で、肩書きは、ブラウ・マイスターと書かれてある。ブラウ・マイスターというと、ビール職人のことではないか。
「私はビール職人なんだ」
なんということだろう。ビールの国、ドイツでビール職人と話ができるとは思ってもいなかった。
二人と別れた後、少し走って休憩をとり、ガスストーブでコーヒーを沸かしてパスタを茹でた。随分、天気がよかったので寝袋を干すことにした。陽が良くあたる木に寝袋をかけて、テントとフライシートも広げて干し、これからどうするか考えた。今日の目的地のヴリュツブルグは目の前にある。昨日はバンベルグで時間を割いているのだから、一気に距離を稼ぎたい。ヴリュツブルグを少し観光するとしても、できるだけ進みたい。天気のいい日に距離を稼ぎたいのだが、このまま毎日、毎日、湿った寝袋で寝るわけにもいかない。今、ここで完全に寝袋を乾燥させようとすると、ヴリュツブルグ止まりになる。さっき出会ったヘルベルトさんの住むキッチンゲンとヴリュツブルグは、そうたいして離れているわけではない。ここで寝袋を乾かして、今日はヘルベルトさんのところに行かしてもらってもいいんじゃないか。僕はパスタを食べながら、そう思った。
言われた通りキッチンゲンの町に行って電話をかけてみると彼が出た。町の入り口にあるマクドナルドの前にいることを伝えると、彼は車で迎えに来てくれた。僕は、彼の後ろを付いて走り、住宅街にある彼の家に到着した。
「済まない!今日は友人の結婚パーティーでね。帰ってこれないんだ」
僕が荷物をおろして一息ついていると、奥の部屋からヘルベルトさんが、正装した姿に蝶ネクタイを締めた姿で現れ、苦笑いしながら言った。なんということだ。招待したいと言っておいて留守にするとは・・・おそらく本当に僕がやってくるとは思っていなかったのかも知れない。
「その代わり彼が君の相手をするから一緒に酒でも飲んでくれ」
ヘルベルトさんは、一緒に走っていた友人を紹介して結婚パーティーへ出かけて行った。ヘルベルトさんの友人は、英語が苦手なようだったが、簡単な英語とドイツ語を混ぜながら話した。彼に注いでもらったビールを飲み干すと「もう一本どうだ?」と言うので「もらいます」と答えると「まだまだビールはあるからな」と言って彼はグイグイ、ビールを注いできた。ビールを飲むと、ソーセージを食べろ食べろという。僕は久々に満腹感を味わいながら、ゲストルームで寝かせてもらった。
翌日、目が覚めて食卓に入るとガチョウの丸焼きが皿の上に載っていた。
「今日は一年のうちでガチョウを食べる日なんだ」
とヘルベルトさんは言って小皿にガチョウの肉を取り分けてくれた。ガチョウなどというものを食べるのは生まれて初めてだった。
食事をしながら、ヘルベルトさんは若いころに自分が登山をやっていたことなどを話してくれた。僕はヘルベルトさんと友人の間で、英語のレベルに差があることを疑問に思って、ドイツでは戦時中に英語教育があったのかどうか、訊ねてみた。
「私は学校で英語は習っていないんだ。戦争に負けた後、この町にも米軍が駐屯しにきて、彼らの相手をするために、私は英語を身につけたんだ」
僕は、それを聞いて納得した。ごちそうになった後「出発の準備をします」と言うと「今日出発するだって?今日はもう出発には遅い。明日出たほうがいい」と彼は出発を引き延ばすように勧めてきた。確かに中途半端な時間帯だったので、彼の言葉に従うことにした。
急ぐ必要のなくなった僕は散歩がしたくなったので、彼に、キッチンゲンの見所を尋ねた。
「この町にはバルダザール=ノイマンという有名な建築家が設計した建築がある。それを見ておいで」
僕は、キッチンゲンの町を一人で歩いた。橋を渡って、ヘルベルトさんが教えてくれたドイツの巨匠バルタザール=ノイマンの建築を見に行った。
ヘルベルトさんの家に戻った僕は、彼といろいろな話をした。ビール職人だけあって彼の部屋にはビールに関する本がずらりと並んでいる。彼がアサヒやキリンといった日本のビールのメーカーの名前を口にしたので、「日本のビールはあまり良くないでしょう?」と聞くと
「いや、日本のビールは悪くないんだよ。ただ、ホップが良くないんだ。上等のホップを使えばもっと美味しくなるんだけどな」と彼は言った。
考えてみれば、日本の高級料亭やレストランでは安価なワインは出せない、とばかりにバカ高いものを出すくせに、ビールだけは平気で普段飲んでいるものを出す。客もそれが当たり前だと思っている。日本には上等なビールがないのだから仕方がないかなと思った。
僕は、彼がユーロについてどう思ってるのか聞いてみた。
「私は通貨統合には反対だよ。通貨統合によってメリットのある国と、デメリットのある国があるだろう?ドイツにとってはデメリットだよ。私はドイツマルクが消えるのが寂しいよ」
「トルコは将来的にEUに入るのですか?」と聞くと
「そりゃあ、駄目だ。トルコはアジアだ、ヨーロッパではない」と言った後で、僕がアジア人であることに気がついたのか、慌てて
「もし、アジアの国をEUに加えるというのなら、私は是非とも日本に参加してもらうよ。そうすればEUにとっては大きな力になる」と笑いながら言った。
「ヴュリュツブルグにはバルタザール=ノイマンの設計したレジデンツがあるから是非見にいったほうがいい。天井画はイタリアのティエポロという画家が描いたのだ。フランケン・マイン博物館にはリーメンシュナイダーという彫刻家の彫った作品が並んでいる。この近くのフォルカッハにある教会にもリーメンシュナイダーの作品はあるから行ってみればいい」
そう言って、ヘルベルトさんはヴリュツブルグの見所を紹介してくれた。
「ヴリュツブルグはいいところだよ」
「名前は知ってるけど、どういう町かは知りません」
「ヴリュツブルグのことを知らないのかい?日本にはオツという町があるだろう?」
「オツ?」
「オツという町とヴリュツブルグは姉妹都市だよ」
「ああ、大津。滋賀県の大津のことですか?」
「そう、オーツだ。オーツだよ。知ってたかい」
そういえば大津市役所の近くに「ヴリュツブルグ通り」というのがあって、ドイツまでの距離を表示した看板があったり、湖の浜にはドイツ風の家が建っていたので不思議に思っていたが、やっと理由がわかった。
「それにヴリュツブルグはシーボルトが生まれた町だ。シーボルトは知ってるかい?」
「シーボルトのことは日本人なら誰でも知ってますよ。日本の恩人ですから。でも、シーボルトがドイツ人でヴリュツブルグ出身だなんてことは知りませんでした」
ヘルベルトさんは、この地方がフランケンと呼ばれ、ワインが有名であることを教えてくれた。彼はワインの入ったボックスボイテルという特徴のある瓶を見せて、この地方のワインであるフランケンワインは、その瓶で売られているのですぐに見分けがつくと説明してくれた。
「それで君はドイツを走り終えたら、どこへ向かうんだ?」
「フランスのパリまで行った後、アメリカのニューヨークへ渡ってロスまで横断して日本に帰ります」
「アメリカだって?アメリカになんて行かないほうがいいぞ。ニューヨークの摩天楼を見たあとは何も見るものはないじゃないか。それより、ヨーロッパを周ったほうがいい。イタリアへ行けばいいじゃないか。ここよりは暖かいし、素晴らしい文化遺産がある」
「そんなに素晴らしいのですか?」
「ああ、ヨーロッパで一番素晴らしい文化遺産がある。アメリカなんてやめた方がいい」
「いろいろな文化も見たいけど、僕は地球に円を刻みたいのです。地球は人間が彫刻できる最大の立体ですから」
「そうか、なるほど。でも、またいつか見においで」
翌朝、ヘルベルトさん達は、僕をフォルカッハの教会経由でヴリュツブルグまで案内してくれることになった。出発しようとしていると、ヘルベルトさんの奥さんはビニール袋を沢山くれた。確かに、ビニール袋は貴重だ。これさえあれば荷物の整理が楽になるし、雨の対策にもなる。
キッチンゲンを出発してフォルカッハに到着すると、教会は閉まっていた。どうやらその日は午前中しか開いていなかったようだ。出発が遅かったと謝るヘルベルトさんに、仕方ないです、と言ったものの、リーメンシュナイダーの彫ったというマドンナが見られなかったのは残念だった。教会を諦めて、ヴリュツブルグへ向かうと、途中で川にぶつかった。川には小さな舟があるだけで橋がない。
「この渡し舟を使うんだ」
それを聞いて、僕は驚いた。
「ちょっと、待ってください、僕は今までインドのカルカッタからここまで自転車だけで走ってきたんです。イスタンブールのボスフォラス海峡だって自転車で渡ったんです。
パリまで自転車で行くって友達に約束しているんですよ。どこかに橋はないのですか?」
「橋はここから遠いんだ。いいじゃないか。こんな狭い川なんだから」
「いや、これは決めたことなんです」
「そんな小さなこと気にしちゃだめさ」
「約束したんですよ」
「我々は誰にも言わないさ。これはドイツ式の橋なんだと思えばいいさ」
そういう、問題ではないのだが、いくら説明してもわからないかも知れない。
「わかりました。舟を使いましょう」
僕は舟を使うことを決めた。ここで食い下がればせっかく案内してくれている彼らの気分を害するだけだ。そんなことをしても仕方がない。それよりもう一度、明日、教会まで戻ればいい。そして、別の道から橋を渡ってヴリュツブルグヘ行けばいいのだ。
川を越えた我々は順調にヴリュツブルグに近づき、町の手前でレストランに入った。ヘルベルトさんは、エッグパスタとビールをご馳走してくれた。食事がすむと「ヴリュツブルグはすぐそこだ。さあ行こう」と言って我々は出発した。レストランからヴリュツブルグは大して離れていなかった。町に到着すると、僕はヘルベルトさん達にお礼を言った。彼らは「じゃあ、気をつけて旅を続けるんだよ」と言ってキッチンゲンに戻って行った。
ヴリュツブルグの町は近代化されていて、町明かりがとても綺麗だった。僕はショーウィンドウに並んだ様々なモノを横目にベックスを飲みながら歩いた。
そろそろ寝所を決めないといけないなと思い、もう一度、町の外へ出ることにした。暗い道を走って近くの林に引き返し、そこにテントを張って眠ることにした。
翌日、ヴリュツブルグヘは行かずに、もう一度フォルカッハへ引き返すことにした。どうしてもリーメンシュナイダーのマドンナが見ておきたかったし、教会から川を舟で渡らずに橋を通ってヴリュツブルグに入ろうと思ったのだ。10m程の川とはいえ、舟を使ったまま先へ進むと完全な陸路ではなくなる。どうしても、カルカッタからパリまで陸路を完全に自転車のみで走りたかった。
教会がどこにあるのか、うろ覚えだったので道端で人に聞きながら進み、やっとのことで無事にフォルカッハの教会に着いてブドウ畑の丘を登って行き、教会の前に立つと、またしても門は閉じていた。しかし、門に書かれた注意書きをよく見れば、昼の間だけ門を閉じていると説明が書かれている。
僕は丘の麓で、腰をかけて湯を沸かしパスタを茹でて食べ、コーヒーを飲んで時間が来るのを待った。しばらくすると一台の軽自動車が丘を登っていった。おそらく教会の人が上がっていったに違いない。僕は食事の後片付けをして、荷物をまとめ丘の上にあがっていった。教会の門は閉まっていたが、ブザーを鳴らすと番の人は門を開いてくれた。
僕は教会の中へ入って驚いた。幼いイエスを抱えたマドンナは鎖で教会の正面に吊られている。僕は、リーメンシュナイダーの彫刻の素晴らしさにも、彫刻を宙に浮かせていることにも衝撃を受けた。
教会を出た僕は、今度は舟を使わずに迂回してブリュツブルグに戻り、昨日と同じ林にテントを張って眠った。 |