イランとトルコの国境は丘の上にあり、麓には何十台ものトラックが止まっていた。 坂道を登ってイミグレーションオフィスへ入り、出国と入国の手続きを済まして建物を出ると、免税店が現れた。そういえば、ここでは、ビールを買えると聞いている。やっと堂々とビールが飲めるのだ。アルコールを禁止しているイランとは違い、政教分離が進むトルコでは、イスラム教国にもかかわらず、酒を飲むことができる。ビールを探すとカトマンズで、いつも飲んでいた「TUBORUG」を売っていたので、迷わず買って店員の前で一気に飲み干し、外に出て自転車に跨った。 (もうここはトルコなんだ!ビールだって自由に飲めるんだ) 合法的にビールが飲めるというだけで、これほど開放的な気分になれるとは、日本で成人した時にはわからなかった。 国境から続く長い坂を駆け下っていくと、右手に美しい山が見えた。旧約聖書の中で、ノアの箱舟が辿り着いたという伝説をもつアララット山である。真夏だというのに。頂が雪で覆われているアララット山の幻想的な姿を見ると、何もかもが数十分前までいたイランとは違って感じられた。 何もない荒野を随分、走っただろうか。変化のなかった一本道にドバヤジットへ続く未舗装の側道が現れ、その道を走って町の中へ入ると、まさにヨーロッパに近づいてきたのだということが、あらゆることからわかった。店の看板には、長い間見慣れたアラビア文字ではなくアルファベット文字が溢れている。酒屋にはビールが堂々と売られているし、町に流れている音楽も今まで聴いていたものより西洋的だった。レストランも多様な種類があり、女性が髪を隠さずに、堂々と道を歩いている。 町を歩くだけで胸が躍った。どうやら感覚が少しイラン人達の社会に染まっていたようだ。ホテルにチェックインして、酒屋でビールを買って飲んだ後、夕飯を食べるために、ロカンタと呼ばれるトルコの食堂に入った。長く親しんだナンはなく、代わりに、スライスされたブレッドが、プラスチックのケースに入れられて、テーブルの上に置かれていた。値段を訊ねるとブレッドは食べ放題という。 「いくらブレッドを食べてもタダとは、なんて素晴らしい国なんだろう」 ようやくナン文化圏からブレッド文化圏に入ったという、それだけでも感動したが、晩飯の後にビールを買っても、誰も文句を言う者が一人もいなかったことに、さらに感動した。 常識が崩れ、その後にできた常識がまた崩れてゆく。日本では「常識で考えろ」という言葉を嫌になるくらい聞かされ、葵の紋のように絶対的なものとして崇めていた「常識」という言葉がとてつもなくインチキ臭く思えて仕方なかった。 コピーしておいたトルコのガイドによると、現在地点のドバヤジットはトルコの東の果てで、クルド民族の住む「クルディスタン」と呼ばれる土地の一部である。クルド民族は独立を目指して、政府とは戦闘を行ったりしているので、この近辺は危険であるらしい。 ここからヨーロッパへ向かうには、西へと走らねばならず、トルコの西には、アジアの終着点であるイスタンブールという町があって、北の黒海と、南の地中海を南北に繋ぐボスフォラス海峡があり、海峡の東岸がアジア、西へ渡るとヨーロッパとなっていて「文明の交差点」と呼ばれる町である。そのイスタンブールを通過してブルガリアへ入国するというのが僕の予定であった。 翌日、ホテルのロビーで本を読んでいると、不意に名前を呼びかけられた。 「アサムラさんじゃないですか。どうしたんですか?いつ、ここへ着いたんですか?」 本から顔を見上げると、テヘランで出会ったゴロウ君だった。 「ゴロウ君じゃないか。僕は昨日ついたばかりだよ。ゴロウ君はいつ着いたの?」 「一昨日、ここへ到着して、あと30分程したら、バスで次の町へ向かいます」 「なんだ、行ってしまうのか。エンは一緒?」 「今、メールを打ちに行ってますよ」 と丁度その時、華僑のエンが帰ってきた。 「どうしたんだ?何で、ここにいるんだ?」 エンも偶然の再会にびっくりした様子だった。しかし、再会を喜んだのも束の間で、雑談していると、彼らの出発の時刻は、すぐにやってきた。 「じゃあ、気をつけて」 「また、どこかで会うかも知れない」 ゴロウ君とエンは、そう言ってバス亭に向かった。再会した友人達と、ほんの数十分で、別れることよりも、新たな目的地に向かう彼等を見送れたことが嬉しかった。 翌日、僕も次の町へと向かって走り出した。すっかり辺りは暗闇に包まれていた。道から離れた民家の辺りで誰かが呼んでいる気がしたので、よく見ると、どうやら人が立っている。土手の上にある道を降りて、男の方へ行くのは面倒くさかったが、泊まれるような場所を聞けるかもしれないと思い、近づいてみた。呼んでいたのは若いクルド民族の男だった。 「この辺に宿泊できるところはないか?」と僕は尋ねた。 「そんなものは、ないなあ」 「寝る場所を探してるんだ」 「うちの庭で構わないなら、寝ていけばいい」男は、すぐそばの自宅へと案内してくれた。 「腹が減ってないか?食べ物ならあるんだ。用意してやるよ」 庭に敷かれた絨毯の上に、彼の奥さんが、料理を用意してくれた。お爺さんやお婆さん、彼と奥さん、そして赤ちゃんも一緒に晩御飯を食べた。食事が終わると近所の子供が数人やってきた。やはり外国人は珍しいのだろう。 すっかり暗くなって星が出てきたので、「庭で絨毯を敷いて寝ても構わないか」と訊ねると「庭に停めているトラックの荷台で寝ればいい」と彼は言った。なるほど、トラックなら荷台に囲みがあるので、その中で、人が寝ているとは誰も気付かないだろう。早速、自転車や荷物を全部荷台に積み、寝袋を出して寝ることにした。荷台は少し冷たかったが眠れないほどでもない。横になって、しばらくすると、彼が家から真面目な顔で出てきた。 「お前さんは、ピストルを持ってるかい?」 彼の、ピストルという言葉にビックリさせられた。 「いや、そんなモノ持ってないよ。僕は日本人だ、危険な人間じゃない」 日本人だと言ったところで危険でないとは限らない。やはり疑われたのだろうか?見知らぬ人間を庭で寝かせるなんて危険といえば危険だ。 「バッグの中身を調べてもいいか?」 「ああ、いくらでも結構だよ。好きにしてくれたらいい」 やはり、疑われているに違いない。今から寝場所を移動するなんて面倒くさい。できれば、危険人物ではないことを理解してもらって、そのまま眠りたかった。 「本当に持ってないのか?」 彼は隅々までバッグを調べてから言った。 「当たり前だ。日本人はそんなもの持ち歩かないんだ」 「じゃあ、これを持っとけ」と言って、彼が差し出したのは一丁のピストルだった。 「は?」僕は、さらにビックリした。 「なんでピストルが必要なんだ?ここはそんなに危険なのか?」 「警察が来るかもしれない」 「え?」 警察が来たらピストルが必要だって?警察が来たらピストルを必要とする状況に陥るのだろうか?当たり前のようにクルド民族とトルコ警察の間では殺し合いも起こりえるのか? 「いらない。とにかくいらない。警察に発砲なんて、できるわけないじゃないか」 「本当にいらないのか?」 「ああ、とにかく僕はもう寝る」 彼等は長い間、独立を目指して軍や警察と戦ってきたのだ。警察に対して銃が必要であるという、彼らの常識は、日本で平凡に育った僕の常識とは違うものだった。ここでは、警察は危険な存在なのだ。頭で言い聞かせたところで、自分が反対側の常識の中に置かれていることを理解できているとは思えなかった。 翌日、泊めてもらった家族に礼を言って、出発した。しばらく走ると、集落が現れた。クルド民族の子供達が、家の前で本を開いていたので、絵本でも読んでいるのかと思って、見せてもらうと、英語のテキストである。彼等は教育が受けられないのだが、英語は絶対に必要だからといって、姉が弟や妹に英語の読み書きを教えていたのだ。そういえばパキスタンの砂漠にあった集落でも、英語の読み書きを若者達が子供達に教えていた。 トルコの小さな村で、英語を学んでいる子供たちに驚いたが、さらに驚いたのは、男の子がポケモンのTシャツを着ていたことだ。日本のアニメキャラクターが、こんなところにまで浸透しているとは度肝を抜かれた。 夕方になって、コプルコイという村の近くを走っていると、軍隊の車に止められた。 「どこへいくんだ?」と車の窓から顔を出したアーミーが尋ねてきた。 「寝場所を探しているんだけど、この近くに宿泊できるような場所はあるかな?」 「こんな所で寝る場所なんて見つからないぞ」 アーミー達は、そう言うと何やら相談を始めた。 「この近くに我々のベースがある。君は今晩そこで寝た方が安全だ」 隊長らしき男がそう言った。 彼らの好意で、僕はアーミーベースに泊めてもらうことになった。ベースは真新しい建物でピカピカだった。シャワーを借りると晩御飯まで用意してくれた。昨晩、泊めてもらったクルド人達と戦ってきた軍の基地の中で、今日は寝ることになってしまったのが、いかにも都合者という気がする。 トルコ人は元々、モンゴロイドであるにもかかわらず、アナトリア人との混血の結果、モンゴロイドに見えない顔つきの者が多い。 「我々の先祖は中国の近くからやってきたんだ。先祖は君と同じような顔つきだったんだが、混血の結果こういう顔になったんだ。でも彼を見てごらん、君と同じ顔をしているだろう?」 そう紹介された若いアーミーはモンゴロイドの顔つきをしていた。元々、トルコ系民族は中国では突厥と呼ばれ、唐と戦闘を行っていた歴史がある。トルコ系の民族は、時代が下るにつれて、次第に西へ、西へと移動していったので、今も中央アジアにはトルコ系の民族が多く分布している。 「彼の名はジンギスっていうんだ」 「ジンギスってジンギス・カーンの名前からとったのかい?」 「そうだ。彼の父親は、彼の名前を偉大な男から名付けたんだ」 「ジンギス・カーンはトルコでは英雄なのか?」 「もちろんだとも、彼は偉大な英雄だよ」 お隣のイランではジンギス・カーンは憎まれていたし、イランで知り合った韓国人の友人達にもイメージは悪かった。だが、ここトルコでは、そうではないようだった。トルコとモンゴルで民族は違っても、遊牧騎馬民族の英雄としての扱いを受けている。 「日本でも彼は有名かい?」 「もちろんさ、彼の名前なら小学生でも知っている。どちらかと言えば日本でも英雄として扱われる場合が多いよ」 「ジンギス・カーンのことを嫌っている国は多いのに、日本は違うのかい?」 「日本にもモンゴルは攻めてきたけど、侵略は成功しなかったんだ。もし、侵略されてたら嫌ってたかもしれない」 「日本にはサムライがいたからな。モンゴルも攻め切れなかったんだろ?」 「それもあるけど、台風でモンゴル軍の船が殆んど沈没してしまったんだ」 ユーラシア大陸を旅しているとジンギス・カーンという人物が、いかに広大な範囲でその名を轟かせているか身に沁みてわかる。 エルズルムは、ドバヤジットを出てから初めての大きな町だった。とりあえず町で済ませておくことは現金の補充、トルコの地図の入手、Eメールの確認、そして昼食だった。町の真ん中にある坂を下っていると、インタ−ネットショップがあったので入ってみると、ネパールでガイドブックのコピーをとらせてくれたマサコという友人が、トルコへ行くので、旅程が合えば、カッパドキアで会わないか、というメールを送ってきていた。 僕は、マサコに今後の予定を送り返した。店を出て、さらに坂を下って行くと、大きな通りに出た。どうやら、その辺りが町の中心らしく交通量もビルの数も多い。通りに面した本屋で、トルコの地図がないか聞いてみると、本屋の親父は、壁に張って使うような大きな地図を持ってきた。地図自体は悪くなかったが、いくらなんでも持ち運びには不便そうである。もっと小さくて折りたためるモノはないのか、と聞いても、どうやらそれしかなかったので、それを買って店の外で強引に折りたたんだ。 本屋からすぐ近くでATMのある銀行も発見したので、現金の補充を済ませ、ロカンタに入って食事をとり、エルズルムを後にすることにした。町に着いてから2時間程度で全てすんなりと終わった。町を出て、しばらく走っていると雨が降ってきたので、ロカンタでチャーイを飲みながら雨宿りしていたが、止む気配は一向にない。ロカンタの主人と話をしていると、中で泊めてもらえることになったので、店の片隅に絨毯を敷いて眠らせてもらった。朝になって、走り出したが、昨日に引き続いて、雨が降り出しそうな気配だった。降らないうちに雨宿りできる場所を探しておいた方がいいな、と思いながら走っていると、目の前に、都合よくコンクリートの廃屋が立っている。自転車を運び込み、瓦礫や雑草を避けて、ペルシャ絨毯を敷いて寝転んだ。大江健三郎の小説を読んでいると、予想通りに雨が降り出した。本来なら自転車に乗っているはずの時間帯だったが、雨ならば無理をしても仕方がない、と言い聞かせて本を読みつづけることにした。静かな時間だった。誰にも邪魔されず絨毯に寝転がっているのは気持ちが良かった。本を読み終わったと同時に、いつのまにか、僕は眠っていた。 朝になって、エルジンジャンの町を目指して走り出すと、体調が、おかしかったが、トルコの道は走りやすく、何とか進み続けることはできた。トルコでは、走っていると時々、湧き水に出会うことがあるので、それをペットボトルにいれて飲料水にすることがある。大抵は、車やトラックが停まっていて、運転手が水を汲んでいるので、彼等に「この水は飲んでも問題はないか」と確認をするのだが、飲料に向かない場合もある。飲んだ水が悪かったのか原因はわからないが、熱があるのは明らかだった。フラフラになりながら走り続けて、ようやく辿り着いたエルジンジャンの町に入り、中央の通りを走りながら、ホテルを探しているとタイヤの調子が、おかしいことに気がついた。自転車を降りてタイヤを見るとパンクしている。 「町の中に入っていてよかった」 もし、これが町の外だったら、ただでさえ体調が悪いので、気が滅入って進めなくなっていたかもしれない。とりあえずホテルを探してチェックインした。疲れて面倒臭かったので、パンクは、ほったらかしにして、外へ出て歩き、少しいいものを食べようと思って、ピザ屋に入り体調を確かめながらピザを食べ、ホテルに戻って、ぐっすり眠った。 翌日、目を覚ますと体調は、少し楽になっていたが、大事をとって、もう一日休むことにした。ホテルを出て、町を歩くと、風もなく、空が真っ青に晴れていて気持ちよかった。トルコは革製品が有名な国だと聞いていたので、せっかくだから革靴でも買おうと思い、靴屋を順番に見て廻ることにした。朝、起きた時はフラフラしていたが、歩いている間に、体が楽になっていた。何軒か靴屋を見ていくと、気に入ったモノがあったので、それを買うことにした。 エルジンジャンの町は、他の町と違って、同時期に建てられたと見える新しい建物が多く、整備されている。不思議に思って、トルコ人に理由を聞いてみると、1992年に地震で町が崩壊したために、町全体を復興して何もかもが新しくなったのだという。地震では約500人が死亡するという大きな被害だったようだ。 町をぶらついて、メールを確認したりしていると、日が暮れてきた。ブレッドを食べる気にはならなかったので、その日もピザ屋に入ることにした。 一晩寝て、朝になると体調は、すっかりよくなっていた。二つ並んだ大きな峠のうちの一つ目であるサカルツタン峠(2160m)の峠越えをしたが、何の問題もなかった。宿泊できそうな所がなく、アカルスという村に入り、野宿でもしようかと思っていると、村人達が公園を案内してくれたので、そこで眠り、翌日、二つ目の峠であるキジルダグ峠(2190m)が控えていたが、これも無事に越え、ザラというところに泊まった後、大きなシワスという町に到着した。 町をぶらついてみると、通りには買い物客などが溢れていて、おしゃれな店が賑やかに並んでいる。今まで見てきたアジアの町とは違い、ヨーロッパの町並みのようだった。ここからは目標のカッパドキアは目前である。 僕はドバヤジットから以来、久しぶりにビールを飲んだ。街の灯りを眺めながら大勢の人通りを歩いていると嬉しくなった。都会を歩いている人達は皆、楽しそうに見える。荒野を旅していると都会の魅力を強く感じる。 シワスからゲメレックを経て、大都会カイセリに到着した。カイセリは想像以上に発展していた。トルコでは、いたるところで、盛んにマンションが建設されている。だが、このカイセリでは、それが最も顕著だった。僕はマレーシアを思い出した。マレーシアでも雨後のタケノコのように、マンションが盛んに建設されていた。トルコもマレーシアも、ここ最近で都会の生活の様式も、住んでいる人たちの意識も変わっていくのだろう。 町を出て走り始めるとバーガーキングを発見したので、思わず中へ入り、セットメニューを注文して食べた。出発すると、すぐにマクドナルドが現れた。マクドナルドがあるとわかっていれば、バーガーキングには入らなかったのに、と思いながら走り過ぎた。インドやパキスタンのマクドナルドが、日本のそれと、味が違ったため、是非、トルコでも味を確認しておきたかった。イランでは、アメリカ資本のマクドナルドは、もちろん目にすることはなかった。日本では、それほど魅力を感じなかったが、今や僕にとってマクドナルドは贅沢な食事になっていた。 予定では、カイセリから、その日のうちにカッパドキアに到着できるはずだったが、辺りが暗くなり始め、このままでは、カッパドキアどころか、ホテルのある町に到着するのも難しいかもしれないと思いながら走っていると、ドライブインに接した大きなホテルが目に付いた。随分立派で高そうだったが、一応、値段を確かめてみようと思い、入り口へ向かった。大きな階段を、トルコ人の家族連れが楽しそうに下りてくる。家族連れが利用するぐらいだから料金は高めかもしれないと思ったが、意外に安く、普段泊まってる安宿の料金と全く変わらない。シャワーは付いてるのか、と訊くと風呂があるのだという。トルコ名物のハマムだった。久しぶりに湯に浸かれると思うと嬉しかった。 「じゃ、チェックインするよ」 僕は荷物をホテルに運び込み、浴場へ向かった。久しぶりの湯だった。天井の高くて広い湯に浸かっていると、落ち着くかと思ったが、疲れはそれ程取れなかった。病み上がりであるせいか、気が張っているのが、よくわかった。長く入っていたところで、いつまでたっても同じだという気がしたので、湯を上がることにした。 「明日はカッパドキアだな」 そう思いながら部屋に戻り、地図を確認した後で寝た。 約束通り、カッパドキアには、無事に着いたが、マサコと待ち合わせしたギョレメという旅行者が多く集まる地区へ行くには、時間がかかった。地図はトルコ全体の地図なので町の中に入ってからは、道がわからず役にたたないのだ。ようやく、ギョレメ地区に着いてメールをチェックすると、マサコはまだ着いていないようだった。 「なんだ、せっかく急いで来たのに、こっちが早く着いたのか」 ぶつぶつ言いながら、他の者から届いたメールをチェックしていると、驚いたことにドバヤジットで会ったばかりのエンが、カッパドキアにいるというメールが入っている。エンは宿泊しているホテルの名前まで丁寧にメールで知らせていた。早速そのホテルに行ってみると、エンがいた。 「アサムラじゃないか!どうしてここに?」 「今、ここに着いて、エンのメールを読んで来たんだよ」 「ここへ来る予定だったのか?」 「いや、ネパールで、会った友達が、トルコに来るというから、ここで待ち合わせすることになったんだ」 「友達はどこにいるんだ?」 「まだ着いてないみたいなんだ」 エンの泊まっていたホテルは洞窟の中に宿泊用の部屋があった。カッパドキアでは、このタイプのホテルが旅行者に人気で、あちらこちらで目にする。 僕達は庭に置かれたテーブルで、ビールを飲みながら、ドバヤジットで別れてからの経過を報告しあった。夕方、再びメールをチェックすると、マサコから到着の知らせがあったので、メール通りのホテルに向かうと、彼女がホテルのテラスから手を振っているのが見えた。 「会えたじゃん!」 「久しぶりだな」 ヒマラヤの見えるカトマンズで出会った友人が、ヨーロッパ目前のカッパドキアで目の前にいる。僕は何ヶ月もかけて、野を越え、山を越え、砂漠を越えて走ってきたのに、彼女は一っ飛びでここへやって来たのだ。飛行機という乗り物の凄さをあらためて感じた。 「自転車は大変そうだね」 彼女は笑いながら言った。僕は、夕食のことを考えながら「そうでもないよ」と言った。何となく、本当は大した距離を走ってないのかもしれないという気がした。