「ここから先は走行を禁止する」 その言葉に僕が引き下がらないのをみて、警官達は車の無線で何やら連絡を取りだした。すると、車で彼らの上官がやって来た。彼も「この先を走るのはやめろ」と言ったが、どうしても、カルカッタからパリまでの間を自転車のみで走りたいのだということを伝えた。上官はしばらく考え込んだ後、無線を手に取った。(まずいことになってしまったかな)と思っていると、しばらくして三台のトラックがやってきた。 (自転車をトラックで運ばれるのか・・・)目の前の壁を乗り越えられない悔しさを噛み締めていると 「よし、走りたまえ。我々が君を護衛する」と上官が言った。 「えっ?」僕はびっくりした。彼らは僕の走行を許可してくれたのである。 左右の茂みをサーチライトで照らしながら、僕の自転車の前を二台が走り、もう一台が後ろから付いてきてくれた。それぞれのトラックの荷台にはライフルを持った警官が4,5名乗っている。あらためて、ここがどれだけ危険な土地なのかを思い知らされた。正直、これほど用心しなければならないとは思ってなかったのだ。もし、銃撃されると、僕だけではなく、護衛してくれている警察達も危険な目に遭うのだ。シンド州をなめていた自分を恥ずかしく思った。彼らの命がけの護衛は大変ありがたかったが、自転車のスピードを落とせないのできつかった。ましてや、低速ギヤを使用しているので、全力で走ったところでスピードは出ない。一日の終わりに全力で走るなんて馬鹿げた行為だ。 止まれないので水も飲めない。ヘトヘトになっていたが日本人と名乗った以上、身を危険に晒してまで護衛してくれている彼らに、くたばった姿は見せられない。真っ暗な道を懸命に走り続け、全身フラフラになってローリの町に着いた。 「もう町だから護衛はいいです、ありがとうございました」と言うと「どこのホテルに泊まるんだ?」と訊いてきた。 「この町のことは知らないからこれから探すつもりです」僕はすぐに一人になって休みたかった。「この先2kmでサッカルの町だ、そこにはホテルがある。そこに泊まった方がいい」どうせ、サッカルへは行くつもりだったし、2kmなら10分の距離だ。 (とりあえず走ってみるか)と思い、再び警察の車に挟まれて走り出した。しかし、どれだけ走ってもサッカルの町には着かない。心の中で何度も(いつまで走ればいいんだ)と呟きながら必死でペダルをこいだ。気が付くと目の前に町灯りが見えた。(サッカルの町だ。やっと着いた)と思ったら、灯りの方へ向かわずに左の方へ道が続き、町灯りから、どんどん遠ざかっていく。(何が2kmだ。畜生!)疲労しきった僕は、護衛をしてもらっているありがたさを忘れて腹が立っていた。道は大きく町をそれて、オレンジ色の街灯の続く高速道路のようなものに続いていた。 (何でまっすぐ町へ道を通さないんだ)心の中でブツブツと自分勝手な文句をいいながら高速道路らしきものへと走っていた。近づくとそれは大きな橋だった。 (インダス河だったのか・・・)地図上でサッカルがインダス河に面していたことを思い出した。走ってきた道はインダス河に沿って続いていたのだ。そして、この橋でサッカルに渡れるようになっていたのだった。 橋を渡りだすと、灯りに群がる小さな羽虫の大群が目や口を容赦なく襲った。虫を払いのけながら、ようやく橋を渡るとそこにはホテルがあった。警察官達は「ここに泊まるといい」と言って僕をフロントに通した。フロントで値段を聞くと「3000RS」だった。「こんな高い所には泊まれません。いつも150RS程のホテルに泊まっているんです」と僕は言った。すると、彼らは着いて来いといって、僕を町の中央にあるホテルへ案内した。そこは普段宿泊しているホテルと似たような料金だったのでさっさとチェックインした。 翌日、ホテルの外へ出ようとすると、部屋の入り口にライフルを持った警官が立っていた。おそらく、昨日の上官の命令で、僕を護衛していてくれているのだろう。 「パスポートの延長をしたいのだけど、この町にはパスポートオフィスがあるだろうか?」と聞くと、彼は連れて行ってやると答えた。すんなりことが運びそうだったので、ホッとした。彼のバイクの後ろに乗って連れてこられたのは警察署だった。「この建物の中にパスポートのオフィスがあるのだろうか」と聞いてみると、位の高そうな男が「ここではなくSSPオフィスというところへ行ってミスター・イクバルという人物に会いたまえ」と言って行き先をメモして教えてくれた。再び、彼のバイクの後ろに乗って、指示されたSSPオフィスへ連れて行ってもらい、そこでパスポートについて訊ねると、奥の部屋に通された。中には、白いムスリムドレスを着た、いかにも実権をもっていそうな役人がいた。彼は小間使いの男に、チャーイを入れさせた。僕はチャーイを一口すすった後、問題を切り出した。 「カラチのパスポートオフィスに行かなければだめだ」彼は横に首を振った。 「カラチですって?」 「ああ、カラチにはパスポートオフィスがある。パスポートに関することは我々にはどうすることもできないのだ」 「それで、カラチに行けば、必ず延長はしてもらえるのですか?」 「君には何の問題もなく延長されるだろう」 カラチはサッカルから数百キロ離れているが、夜行に乗れば朝には到着すると言う。僕はホテルに戻り、急いでカラチ行きの準備をした。この町で、延長ができないということがわかれば、カラチに行かないかぎり、話は前に進まないのだ。今からならまだ、夜行に間に合う。もたもたしている場合ではない。サッカルの駅で切符を買って水を数本買い込み、カラチ行きの夜行列車に乗り込んだ。カラチはパキスタン独立時の首都であり、現在の首都イスラマバードに続く第二の大都市である。見所はこれといってなく、治安も悪くて危険なため、旅行者からは人気のない町の一つだった。夜行列車は蒸し暑く、横になっても寝苦しかった。途中停車した駅では菓子を売る店があったので、それを買って食べ、辛抱強く横になって眠りに落ちるのを待った。翌朝、列車はカラチに到着した。パスポートオフィスで話を聞くと二日後に来いという。(二日だって?)その場ですぐに延長してくれると思っていた僕はびっくりした。あんまり滞在したくないが、この際やむを得ない、と思いカラチの駅前で宿泊しようとしたが、パスポートがなければホテルにチェックインすることが出来ないことに気が付いた。今、僕が利用できるのは部屋をとったままにしているサッカルのホテルだけなのだ。僕は舌打ちして「くそったれ」と呟いた。おまけにカラチへ持って来たカメラをどこかでなくしていたことに気が付いた。とりあえずレストランで食事をしていると、隣のテーブルに座った三人のパキスタン人が僕を見て「チーニー!チーニー!」と言って茶化してきた。中国人と間違えているのだ。相手にするまいと無視していたが、僕が手帳を取ろうとしてウエストポーチを開くと、その中にあった財布に一人が手を延して触れた。「表へ出ろっ」僕は立ち上がって怒鳴った。慌てて、フロントの男が止めに来て謝り、三人にも謝らせたので、僕は落ち着いた。 「自分は日本人だ。喧嘩ならいつでも相手になってやる」と三人に言いきかせて店を出た。 どうやらビザ延長のことで苛立っていた。パスポートも持たずに揉めるなんてどうかしている。僕は仕方なくサッカルに戻る列車に乗り込んだ。一晩かけて列車は走り、朝になって、再びサッカルに着き、ホテルの部屋で少し横になった後、夕方には再びカラチ行きの夜行列車に乗り込んだ。なんて、バカバカしいことをしているんだろう、と思った。 カラチに再び到着してパスポートオフィスに行くと、延長のビザを張ってくれた。これで30日間の滞在延長が認められたのである。僕は、再びサッカル行きの夜行列車に乗り込んだ。 朝、サッカルに到着して(さて、どうしようか?)と考えた。サッカルをすぐに出発するべきか、それとも一日、休んで明朝に出発するか。夜行列車に4泊したとはいえ、体はそんなに疲れてなかった。よく考えてみれば、自転車に乗っていたわけでもなく、列車の椅子に腰掛けて、窓の外を眺めていたか、寝ていたかという休息をとっていたのだ。少しでも早くサッカルを離れたかった。僕は駅からホテルに戻って、すぐに荷物をまとめチェックアウトした。サッカルを出発すると、またも護衛の車が伴走してくれた。北に向かってしばらく走るとジャコバハットという町に到着し、護衛の車は去っていった。この町では簡単にホテルが見つかった。中には高そうなレストランが併設されていたが、メニューを見ると安い焼き飯があったので、それを注文した。美味かったので2皿食べた。 このジャコバハットから次のシビの町までは、小さいとはいえ、一つ目の砂漠がある。一体、砂漠とは、どんな世界なのか、それを知るには目の前にある140kmの砂漠というのは丁度いい距離だ。短すぎず、かといってとてつもなく長いわけではない。バロチスタンの600kmの砂漠の予行演習としてはもってこいである。 砂漠の入り口には店が並んでいた。トラックの運転手が腹ごしらえをしている。僕もレストランで食事を済ませた。水も売っている。積めるだけ買っておいたほうがいいと思ってボトル入りの水を買おうとすると小さな500ミリリットルのボトルしか売っていない。仕方がないので数本買って積んでおいた。砂漠には道が通してあったが、途中、砂に埋もれていた。仕方がないので自転車を降りて押しながら進もうとしたが、タイヤが砂に埋もれてなかなか進まない。しばらく押しながら進むと舗装道路に戻った。地平線を見ながら走り続けていたが、ふと立ち止まった。ゆっくりとあたりを見回してみる。砂漠を目にするのは生まれて初めてのことだった。 「これが砂漠・・・」 360度が砂の海だった。恐ろしいほど単純な世界。 (やれそうだ)それが素直な感想だった。(やれる範囲だ)身体が、そう感じているのがわかった。地図を見ていたときには砂漠を走るというイメージが不完全だった。だが、ここでは気温も湿度も風の強さも感じられる。パキスタンは普通の都市でも気温が40度を越える。今、自分がいるこの砂漠は明らかにそれ以上の温度だった。汗が見えない。あまりの暑さに汗が蒸発して皮膚は常に乾燥している。 (これが砂漠だ。これが砂漠だ)頭の中で自分に言い聞かせる。 砂漠で何か考えてみたい、と思ったことはあったが、実際に砂漠の真ん中に立ってみると自分で考えてみたいことなんて何も考えられなかった。ただ、前へ進むことだけを考えている。水を飲みたいとだけ考えている。暑い。本当に暑い。頭が沸騰しそうだ。水を少しずつ、少しずつ分けて飲む。一度に飲むとなくなってしまうし、飲まなければ体が持たない。ふと気付くと、小さな竜巻が道路に向かってきていた。竜巻を見たのは生まれて初めてのことだった。あれだけ小さければぶつかってもたいしたことはないだろう、と僕は出来心を起こして竜巻に当たってみようと思った。竜巻のコースに自転車を止めて接触するのを待った。ジリジリ竜巻が近づき、風が「ゴウゴウ」と吹き荒れ、接触すると思った瞬間、僕は上下左右の感覚を失い、波に飲み込まれたような錯覚を起こした。「ゴガガーッ」と四方八方から、すごい力で砂風が殴りつけ自分が乾燥機に掘り込まれたシャツのように感じた。竜巻が通り過ぎると、僕は砂だらけで倒れていた。耳の中にも砂が入っている。しばらく放心状態だった、我に返って全身の砂を払い、再び走り出した。 水が欲しい。水をガブ飲みしたい。しかし自転車に積んでいる水の量は限られている。 (何で、もっと水を買っておかなかったのだろう)と何度も思いながら、フラフラになって辿り着いた砂漠の出口にはレストランがあった。中では、水が売っていたので、1.5リットルの水を買って一気に飲み干した。よくもまあ、こんなに飲めるものだと自分で感心した。一息ついた後、もう一本買って自転車に積みシビの町を目指した。 緑。紛れもない緑がある。砂の海に、緑の陸が現れたのだ。 「緑だ・・・」緑を見て感動したのは生まれて初めてのことだった。(なんで、こんな所に緑が存在しているんだろう?)そこに緑があることがすごく不自然に感じた。砂の世界に取り囲まれていたせいなのか、緑というものの存在が不可思議なものに思えた。緑に恵まれたその町はシビといった。ホテルに泊まろうとするとパスポートをフロントでチェックを預かられた。もし、ビザを延長してなかったら宿泊できなかったかも知れないと思うと、はるばるカラチまで面倒臭い思いをして延長しに行った甲斐があった気がした。 「今日の町の気温は52度だったんだ、砂漠はさぞかし暑かっただろう?」とフロントは言った。どおりで暑いはずだ、町の中で52度だったら砂漠では何度だったんだろうか。よくもそんな気温でペダルを踏み続けていたものだ。我ながらバカバカしくなった。シビを出てマチの村を目指して走り出すと、今まで見たことのないような風景が現れた。ビルのように巨大な断層が90度ひっくり返って、垂直に天を突き刺している。大地の塊が天から落下して突き刺さったかのような風景が行く手に続いていた。アルプスからヒマラヤにかけて造山帯があることは中学校の社会科で習ったことがあるが、この地殻変動こそ授業で習ったそれに違いないと思った。道のすぐ横には川が流れていた。見れば見るほど川の水は透き通っている。昼になったので河原に下り、昼飯を食うことにした。 パンを二つと水だけの食事をとった後に、しばらく川を眺めていると、暑さと、あまりの水の綺麗さに我慢できず、シャツを脱いで泳ぐことにした。泳ぐなんてことは久しぶりだった。暑い中を、ずっと走っていたので川の水がひんやりとして気持ちがいい。僕は、しばらくゆったりと体の力を抜いて川に浮かんでいた。川からあがって走り始めると、いよいよ登りがきつくなり、予想していた事態が起こった。平地ではかろうじてかかっていたチェーンも登りでは歯飛びを起こして全く走れない。緩やかな登り以外は自転車を押して登る羽目になった。重い自転車を押しながら坂道を登るので、普通に歩くスピードより断然遅い。これではクエッタどころかマチにも到着できないかもしれない。そう思いながら自転車を押し続けていると、峠の途中で、日本昔話に出てきそうな茶屋が現れた。 絵本を読んでいた小さい頃は、峠の茶屋なんて、絶対に儲からないと思い込んでいたが、日本で何度か、足で歩く旅をしてみてそれが間違いであることに気が付いた。歩いて旅をすればわかることだが山道の途中で茶を飲んで一息つけるところがあれば絶対に寄ってしまう。高速道路のサービスエリアなんかとは比べ物にならないほどの引力だ。儲かっていたところも多かったはずだ。しかし、交通の手段が歩きから車や電車に移ってしまってから、そういう茶屋も、どんどん減ってしまったのだろう。おまけに日本には自動販売機という便利なものが普及した。一体、日本にはいくつぐらい峠の茶屋があったのだろう。 「マチは、もうすぐだろうか?」僕は茶屋の老主人に聞いた。 「マチなら少し引き返して谷川にかかる橋を渡らなければいけないよ」 そういえば、少し手前に橋が架かっていたことを思い出した。マチへ行くには、あの橋を渡らなければならなかったのだ。しかし、マチがすぐ近くであることがわかってホッとした。 「マチにはホテルのようなものはあるのだろうか?」 「ホテル?マチにはそんなモノはない。泊まりたければ、ここで寝ていけばいい。奥の部屋にベッドがあるから寝るなら勝手に使え」 僕は、奥の部屋をのぞいてみた。確かにベッドが数台並んでいる。しかし、個室ではないため荷物の安全や、身の安全には、これっぽっちも保障がない。(さて、どうする)と僕は考えた。シビに到着した時にシンド州ばかりが危険というわけではないことを聞かされたことを思い出した。とりあえずは、マチに行ってみることだ。引き返すといってもそんなに距離があったわけではない。それに坂を下るだけだからせいぜい5分もあれば橋に辿り着く。まずは、本当にホテルがないのか確認するためにマチへと向かうことにした。橋までは下りだったので自転車に跨っているだけで、すんなりとマチに辿り着いた。こんな田舎の片隅、自転車旅行でもしていないと誰も訪れないだろうな、と思わせるような辺境の村だった。例外に漏れず子供たちは途方もなく元気で、自転車を押して砂利道を踏みしめながら歩いていると、後から何人も着いてくる。村の中心に向かうと鉄道の駅が現れた。おそらく、クエッタに向かう列車がこの村を通るのだろう。 (ここで数日、休んでみたいな)とふと思った。自分を知っている者なんて誰もいない。 (日本で、どんな悪いことをしても、ここまでくれば誰も見つけられないだろうな)と考えると、とても気分が楽になった。(日本で何か悪いことをしてきたのだろうか?)と少し考えた後(日本で何か善いことをしてきたのだろうか?)と考えなおしたが、バカバカしくなって考えるのをやめた。マチは小さいながら賑やかで村の人々やバザールには活気があり、鉄道の駅があるのだから、どこかにホテルぐらいあるだろうとしつこく探してみたが、どうしても見つからなかった。とりあえず、食事を済ませ、必要な分の水を買ったが、日も暮れてきたし、これは諦めたほうがいいかもしれない、という気がしてきたので町を出て坂を登り、さっき入った茶屋に戻った。奥には、さっき確認したとおり木枠にロープを編んだベッドが数台並んでいる。店の主人は「そこで寝てもいい」と言う。危険ではないのか、という疑問が湧いたが、マチには宿泊できる場所はない。野宿という手段もあるが、場所を探すのが面倒臭かったので、何かあったら、自分の責任でしかないと諦めてそこで寝ることにした。荷物を固めて隅に置き、薄目で辺りを見渡しながらベッドに横になっていると、しばらくしてポツポツとトラックの運転手達が入ってベッドに寝転びだした。最初は寝てはいけないと自分に言い聞かせ、薄目で彼らの様子をうかがっていたが、彼等は気持ち良さそうにグウグウと眠っている。少し安心して、ここなら大丈夫かもしれないと考えていると、いつのまにか自分も眠っていた。 翌朝、茶屋のじいさんに礼を言って出発し、再びクエッタに向かう登り道に挑み始めた。いよいよクエッタは目前に迫っていたが、自転車のチェーンも限界に達していた。唯一使用が可能だった低速ギヤも度重なる峠で歯飛びを起こし、ちょっとの登り坂でも全く役に立たなくなっている。このままではクエッタまで到底辿り着かない。残された距離を考えると不安が襲う。しかし、マチからクエッタに至る道程は後半が殆んど平地に近く、いつ登りが始まるのかと、心配しながら走っていたが、長く続いた平地をぬけるとクエッタに到着することができた。クエッタの町に着くとチェーンに対する今までの緊張が一気にほぐれた。危険なシンド州を警察に護衛してもらって走り、峠でチェーンをボロボロにしながらも、とうとうパキスタン最大の難関、バロチスタン砂漠の入り口にやって来たのだ。