ヴリュツブルグの町には、至るところにワインを扱う店があった。看板には、ヘルベルトさんが教えてくれた特徴的なワインボトルのボックスボイテルの絵が描かれているのでわかりやすい。ヴリュツブルグを明るい時間帯に歩くのは、これが初めてだった。
大聖堂やノイミュンスター聖堂を見ながら町を歩いていると、マリエンカペレ(マリア礼拝堂)のあるマルクト広場に出た。マルクト広場は英語で言うとマーケット広場という意味で、その名前の通り、広場には野菜などを売る店が出ている。
マリエンカペレの入り口には、リーメンシュナイダーのアダムとイブの彫刻のレプリカがあった。ヘルベルトさんが、オリジナルの方は博物館に収蔵されていると言っていたので、レプリカはちらりと見るだけにしておいた。
町をぐるりと歩いた後、ホーフ通りを歩き、ヘルベルトさんが絶賛していたレジデンツ(宮殿)に入ってみると、階段室に大きな天井画が描かれていた。一度に全体を見ることが不可能なぐらい巨大である。
入り口で購入した説明書きを読むと、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカが描かれているようである。よく見てみると、頭にターバンを巻いたイスラム教徒らしき男が描かれていたり、黒人の女王らしき姿があったり、アメリカの部分には白い腹をみせたワニを肩に担いだインディアンが描かれていたり、それを茂みから隠れて伺っているヨーロッパ人が描かれている。ヨーロッパの部分には、このレジデンツの設計者バルタザールノイマンが大砲に腰掛けた姿や、足元に道具を置いているアントニオ、この天井画を描いたティエポロ本人が描かれている。
隣の部屋に入ると真っ白な部屋だった。壁や天井には全面に繊細なストゥッコ装飾が施されていた。何もかもが真っ白である。これはアントニオというイタリア人の手によるものということだった。その隣には極彩色に彩られた部屋があった。ここまで豪華にする必要があるのかという程の絢爛さで、この部屋の前に見た真っ白な部屋とは、とても対照的である。
レジデンツを出ると勢いよく雪が降っており、自転車には雪が積もっていた。灰色の空の下で雪化粧をした町を見ていると、冷たい空気のせいか、美しさのせいか思考が止まり、町の姿が目に焼きついてくる。冬でなければ、この美しさには出会えなかったはずだ。寒い時期をずらす必要はなかったのかもしれない。僕は雪の降る街の中を歩いて、もう一つの目的であるマイン・フランケン博物館へ向かった。
この博物館は旧市街とマイン川を挟んだ反対側の丘の上に建つマリエンブルグ要塞の中にある。マイン川にかかるアルテ・マイン橋にはプラハのカレル橋と同じく両端に彫像が立っているが、こちらは左右6体ずつで合計12体である。後ろを振り返ると旧市街が見え、市庁舎と大聖堂が見える。前方には小高い丘の上にたつマリエンブルグ要塞がそびえるのが見える。プラハといい、バンベルグといい、このヴリュツブルグといい、町の中で川を挟んで市民側と領主側が別れるというのは中世の町において基本的なスタイルの一つだったのかもしれない。
橋を渡り終えた僕は急な丘を登り、マリエンベルグ要塞の博物館に入った。館内にはリーメンシュナイダーの作品がずらりと並び、マルクト広場のマリエンカペレに立つ像のオリジナルのアダムとイブもあった。彫刻家のリーメンシュナイダーは、ヴリュツブルグの市長を務めた人だったらしいが、30年戦争で農民側に立って領主と争ったために手を切り落とされたという話が伝わっている。
ヘルベルトさんの説明してくれた通り、リーメンシュナイダーの彫刻は手の表現が素晴らしかった。博物館を出て再び市街に戻るとアウトドア用品の店があった。中をのぞいてみると、品揃えは随分、豊富だった。ゴアテックスの手袋を買おうとしたが、値段が高いのでやめて、ガスストーブのカートリッジだけを購入した。
ヨーロッパに入ってから雨や雪が多いので革靴用クリームを購入した。本当は防水の靴を買えばいいのだが、どうしても金額的に手が出ないので、せめて防水クリームでも塗っておこうと思ったのである。観光や買い物といった何もかもが済んだ気になって、僕はヴリュツブルグを後にした。
町を出た後、酒屋で チーズとフランケンワインを買った。せっかく、フランケン地方を旅するのだから、少しくらいワインを楽しもうと思ったのだ。
朝、目を覚ますと暗闇のテントの中、手探りでワインの瓶を探し口に含む。冷え切ったワインは目覚ましに丁度いい。そして、ロウソクに灯をつけパンをかじる。辺りが次第に明るくなりだすと湯を沸かし荷物をまとめる。湯が沸くと地図でその日の予定の行程を確かめながらコーヒーを飲む。テントをたたみ完全に出発の用意が整うまでに辺りはすっかり明るくなる。
ヴリュツブルグから三日目に到着したフランクフルトの町には、大きなアウトドアショップの店があり、中には自転車屋があった。いろいろな自転車用品やウェアが並んでいる。ドイツに入って雨が続いているし、これからはもっと寒くなる。ましてや、アメリカに渡ると、雪の中を走らねばならなくなるだろうから、ここでゴアテックスの手袋を買っておこうと考えて、どの手袋を買うか選んでいると、背の高いドイツ人が話し掛けてきた。
「表に止めてあった自転車、あれは君のものかい?」
「ああ、そうだよ」
「あんな所に止めていると盗まれるかもしれないよ」
「そうだね、鍵はかけたけど盗まれる心配はあるね」
「あれはビアンキだろ?いい自転車だ。俺も自転車旅行が好きなんだ。君はどこから走ってきたんだい?」
「シンガポールさ」
「そいつは、驚きだな。ところでグローブを探すなら3階のスキー用品店の方が、品揃えが多いと思うのだけど見に行かないか?」
「ああ、そうしよう」
我々は3階のスキー用品店でグローブを探すことにした。確かにグローブの品揃えは自転車用品店より多様だった。 本当かどうかはわからないが、マイナス30度まで適応と表示されたゴアテックスのグローブを見つけた。それが一番丈夫そうだったので購入することにした。
「ところで、君は今日どこで眠るんだい?」
「適当に野宿する予定なんだ」
「もしよかったら、うちに来ないか?シャワーぐらいならある」
「そうさせてもらっても構わないのなら、本当に助かるよ」
「よければ君の今までの旅のことをいろいろ聞かせてもらいたいんだ」
「それくらい、おやすい御用さ」
「よし、じゃあ、決まりだ。俺の名はクラウス。君は?」
「トモというんだ」
「わかった。トモ、俺は近くに車を止めてあるんだ。そこまで一緒に行って、そこから車の後に着いてきてくれないか」
我々はクラウスが車を止めている駐車場へ向かった。
「俺は別に金持ちじゃないし何も持ってない男なんだけどね、車だけは皆が驚くような車に乗っている。でも本当にそれ以外には何も持ってないんだ」
結構いい車に乗っているのだな、と想像しているとガレージから出てきた彼の車はポルシェだった。まさかポルシェに乗っているとは思わなかった。
クラウスの車の後に用心しながら付いて行くと、ヘニンガービールの工場の前を通って、15分程で彼の住む家に到着した。彼はどうやら一人暮らしらしかったが、それにしては一軒家のいい家に住んでいる。
「まず、シャワーを浴びた方がいいな。それから夕食だ」
シャワーを浴びて着替えるとすっきりした。
「車に乗ってくれないか。君をドイツの伝統的なレストランに連れて行きたいんだ」
クラウスのポルシェの助手席に乗り、町へ案内された。
「この町は経済的に有名な町で、ドイツ連邦銀行もあるし欧州中央銀行もある。ロスチャイルド家もここを拠点にでかくなったんだ。この町はニューヨークのマンハッタンにちなんでマインハッタンと呼ばれているんだ」
我々はレストランに到着して車を降りた。レストランに入ると客で埋め尽くされている。クラウスが僕のために注文してくれた肉料理と一緒に細いグラスに入ったワインが出てきた。
「ドイツの料理だ。それにアップルワイン」
「アップルワインってなんだい?」
「アップルワインというのはこのフランクフルトの名物さ」
「へえ、そんなモノがあるのかい」
ジュースのように飲みやすかったのですぐに飲んでしまった。
「もう一杯頼むかい?」
「ああ、これはおいしいな」
夕食が済んでレーマ広場を案内してもらった後クラウスの家に戻り、自転車のことに話題が移った。クラウスはこれまでにヨーロッパの大部分を自転車で旅行しており、年明けには半年間の予定で南米を自転車で縦断する予定だという。
翌日、カフェで朝食を済ませると、クラウスは僕を美術館に連れて行ってくれた。様々な作家の絵が並んでいたが、彼はベックマンの絵が一番、好きなのだと言った。僕にはその魅力が良く分からなかった。美術館を出た後、僕はクラウスに礼を言って、フランクフルトを出発した。
ライン川の岸辺を走っているとキャンプ場を発見した。キャンプ場といってもキャンピングカーが何台
も止まっていて、利用者は殆んどが、そこに定住しているような場所だった。そこは彼らの生活の場のように見えた。 僕はキャンプ場にいた一人の男にテントを張ってもいいのか聞いた。
「ここで寝てもいいのかい?」
「何時に出るんだ?」
「朝9時までには出るつもりだよ」
「それなら、その辺に勝手に寝とけばいいさ。そのかわり朝は、管理人が来る前に、すぐ出発した方がいいぜ」
テントを張り終わって湯を沸かそうとすると、ガスストーブがないことに気がついた。どうやら無くしたようだった。
「なんてこった。まだ二週間ほどしか経ってないのに」
テントを始め、一体、どのくらいモノを無くしたのだろう?
「おい、ビールを飲むか?」さっきの男が自分の寝泊りをしている車から缶ビールを一本とってそれをくれた。
「ありがとう」僕は彼とライン川を眺めながらビールを飲んだ。
話を聞くと、どうやら彼はイギリス人でヒッピー崩れのようだった。昔はインドのゴアでゴロゴロしていたのだと言う。
予定では、フランクフルトから四日でザールブリュッケンに到着するはずだったのに連日の雨で、ペースが遅れていた。町でガソリンスタンドに入り、雨が町の中を行き交う車に降りつける様子を眺めながらピルスナー・ウルケルを飲んだ。いつのまにかプラハも随分、離れたものだ。適当な野宿地を探して、真っ暗なテントの中、ロウソクに灯をともし、ブレッドをかじる。サラミをロウソクであぶりワインを飲む。地図を見れば、明日には必ずフランスに入国できるはずである。いよいよ、フランスかと思うと感慨深かった。
フランクフルトから5日目に、ようやくザールブリュッケンに到着した僕は、またも失くし物に気がついた。この間ガスストーブをなくしたと思ったら今度はロックだ。ロックばかりは買っておかないとうなるかわかったものではない。町の中で都合よく自転車屋の前を通りかかったので新しくロックを買いなおし、気を取り直して出発した。しばらく走って、ふと電話ボックスを見ると「フランステレコム」という文字が目に映った。
「フランステレコム?」
フランスという文字に僕は驚いた。いつの間にフランスに入国していたんだろう?僕は、今来た道を振り返ったが、どこが国境なのかわからない。世界には元々、国境なんてなかったのだろうが、国と国の間に明確な国境が存在しないことが、とても新鮮に思えた。
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